目次
訳者まえがき 二〇〇〇年代初頭「日本の“学力”騒動」の大きな忘れ物
謝辞
日本語版への序文
第一部 理論とリサーチから政治と実践へ
第一章 学校カリキュラムを社会学的に把握する試み
第二章 イデオロギー的実践としてのカリキュラム
第三章 カリキュラム研究と学校知識の社会学
第四章 アカデミックな批判からラディカルな介入へ
第二部 社会学的に見た現行カリキュラムの論争
第五章 学力大論争とその余波
第六章 公的試験のポリティクス
第七章 社会・政治教育における連続性と変化
第八章 社会学者と政治運動——その今日的課題についての一つのレジュメ
訳者あとがき
付録1 頭文字略語一覧
付録2 イギリスの学校体系
参考文献
索引
前書きなど
訳者まえがき 二〇〇〇年代初頭「日本の“学力”騒動」の大きな忘れ物
今日私たちの前にあるのは、政府・文部科学省の「学力重視」政策であり(国際的「学力大国・日本」の復活への願望でもあるようですが)、その一環としての二〇〇七年からの全国一斉学力テスト(小学校六年生と中学三年生対象)、その連年の強行です。このような日本の現状を眼の前にして、〈一九九九年から数年間続いたあの「学力低下論争」の、これがその帰結なのか?〉との思いを改めて深くする人は多いのではないでしょうか。とりわけ、全国学力テストの「全国平均正答率」が、学年・科目ごとはもちろん、「基礎」と「活用」というテスト二種類ごと、さらには個別問題ごとに公表される、そして各都道府県、各市町村から各学校、テストを受けた各児童・生徒個人に至るまで、それら「全国平均正答率」と自分のそれとの比較を迫られるという「現代学力テスト体制」の奇妙にして強権的な働きを見るにつけ、またそれらの市町村平均点・各学校平均点を公表して相互比較しようといういくつかの地域での動きを見るにつけ、「こういう事態を生み出すために、〈学力〉をめぐってあれほど騒いだのだろうか?」という感慨を持つのは、私だけではないように思います。
今日からみれば「二〇〇〇年代初頭・日本の“学力”騒動」と呼ぶのがふさわしいあの喧噪、あの正体、その本質は何だったのか? 今からでも遅くはない、私たちはどうしてもそれを見極めなければならないと考えます。
本書は、今日の英国教育社会学界のリーダーの一人、ジェフ・ウィッティ(現ロンドン大学教育研究院・学長、Director of the Institute of Education, University of London)が二〇余年前に刊行し、彼にとっての単著・第一作であり、また出世作ともなった Geoff Whitty, Sociology and School Knowledge: Curriculum theory, research and politics, London: Methuen, 1985に、著者から新たに届いた「日本語版への序文」を冒頭に置いたものの邦訳です。
今では「学校知識」(school knowledge)論の古典とも言えるこの書物を、刊行二三年後にここにあえて日本語で翻訳したのは、上で述べた課題(「日本版・学力騒動」の正体・本質は何か)を考えるのに、本書の内容がまさに大きな示唆を与えるものだという思いからでした。この書は、学力低下論争の英国版である「大論争」(Great Debate: 1976〜)と、その後に生じた八〇年代前半の「学校カリキュラムとテスト体制との改革」をめぐる論議・抗争のただ中で書かれました。それは、日本版「学力騒動」後を生きる私たちに引き付ければ、今のことです。
本書の焦点の一つは、「学校知識(学校制度の中で、子どもたちが学ぶべきとされる知識)」がどのような性格のものであるのか、そこにどういう国家的コントロールが、何を手段として(たとえば英国版の中等教育修了資格試験の内容を通じて)働くものなのか、国家とその政策がその点で単純に一枚岩でなく、そこにアカデミズムの文化的伝統、産業界の要求、教育界の体質などがどうからむか、またその過程に労働者・民衆側の利害や関心が生かされる道はあるのか、という点です。このような若干入り組んでいるように思われる諸問題を、「カリキュラムの社会学」という視角から、起こっている・起こってきた事実に即して解明する、その点での理論性と実証性とのていねいさと明快さが、本書を英国だけではない、世界の教育社会学における「学校知識」論の古典にしています。だからまた、今日の日本の状況下で、「学力」「カリキュラム」「学習指導要領」「評価規準」等々、総じて言えば「学校知識」を考える人たちにぜひ訳書として届けたいと考えました。
(…中略…)
いまの日本で、教育について社会学的に研究しようとする人、国家教育政策に安易に従うのでなくそれに何らかの批判的視点を持って、なんとか真っ当な教育研究をしようしている人々、そのような人たちが、教育をめぐる入り組んだ状況の中で、何をどのように考える途があるのか? 本書は、同じ状況の中で研究的・人間的に苦闘した一人の英国教育社会学者のその息遣いと「あり得る途」への展望の書物です。その意味で、日本に生きて教育研究に従事する私たちの課題に対して、実に示唆にあふれた書であると考えます。だからこそいま、日本で教育研究と教育社会学研究に従事する人たちに、また日本の教育のあり方を、時の支配者の意図や時流に流されることなく批判精神を持って考えようとしている多くの人たちに、ぜひともこの二四年前の書物の翻訳を届けたいと思いました。
非力な私たちの仕事が、読者の皆さんにとって何かの意味を持てるようにと願いつつ。
(…後略…)
二〇〇八年九月二六日 訳者グループの一人として 久冨善之