目次
序文(桑野和泉・溝畑宏)
はじめに——ドイツの魅力とは?(辻野功)
ドイツの魅力とフランスの魅力
ドイツに似た大分
I 豊後≒九州から小藩分立へ(辻野功)
大友宗麟は九州の覇者だった
大友宗麟とフランシスコ・ザヴィエルの運命的出会い
豊後府内でのキリシタン文化
豊後各地でのキリスト教布教
大友宗麟の受洗
キリシタン理想郷「ムジカ」建設の夢
宗麟、秀吉に救援を乞う
秀吉の九州平定
キリシタンとしての宗麟の幸福な死
大友義統の棄教と宗麟の墓の変遷
大友氏改易
悲劇の木付氏
太閤検地
豊後の細分化
中川氏の石高半減での岡入部
秀吉から敬遠されての黒田官兵衛の中津入部
九州の「関ヶ原の戦い」
義統、大友家再興の戦いに立つ
石垣原の戦い
その後の大友家
黒田如水、豊後を平定
如水、九州の殆どを平定
如水には恩賞なし、豊前は黒田から細川へ
ウィリアム・アダムズの臼杵漂着
『ガリヴァ旅行記』の地図に載っている豊後
豊後は小藩分立へ
小藩分立の弊害
II 大分諸藩点描(辻野功)
蘭学のメッカ・中津藩
木付から改称した杵築藩
ねねの甥が藩祖の日出藩
忠直卿が配流された府内藩
商業先進地・臼杵藩
「佐伯の殿様 浦でもつ」佐伯藩
岡藩祖は秀吉のために玉砕した中川清秀の子
陸へ上がった河童にされた来島水軍の森藩
今も清正を慕う熊本(肥後)藩領
長崎と繋がっていた島原藩領
天領日田は九州の中心地
III 競い合いの文化・一村一品運動(辻野功)
一身にして二生を生きる平松守彦
一村一品運動の提唱
●地域づくり編
一村一品運動のモデル・大山
一村一品運動のもう一つのモデル・由布院
鯛生金山を甦らせた中津江村
炭酸泉日本一の長湯温泉
懐かしさがこみ上げてくる街・豊後高田市「昭和の町」
グリーンツーリズムのメッカ・安心院
『釣りバカ日誌』のロケに沸いた佐伯市
日本一「�夢�大吊橋」の町・九重
●産品づくり編
椎茸
焼酎
カボス
関あじ・関さば
豊後牛
「豊の国づくり塾」一期生
世界に広がる一村一品運動
一村一品運動に学んだ小泉首相
IV 統合の文化・大分トリニータ(楢本譲司)
花開いたサッカー文化
一 大分トリニティの誕生とW杯招致活動
大分初のスポーツクラブの誕生
サッカーを取り巻く環境
W杯の誘致活動
衝撃の日韓共催決定
大分がW杯の開催地に決定
二 トリニティからトリニータへ——JFLからJ2へ
ゼロからのスタート
史上最短記録でJFL(日本リーグ、Jリーグへの登竜門)に昇格
苦労する試合会場探し
ボランティアが支えた試合運営
運営スタッフより少ない観客
最初の経営危機をブラジルシフトで克服
株式会社大分フットボールクラブの誕生
「秋天の陽炎」
三 W杯の大分開催で県民に自信と誇り
大分でW杯を開催できるの?
FIFAの戦略とW杯
試合配分と大分県
芝で悩まされるビッグアイ
リハーサル大会の成功で運営に自信
安全・安心、そしておもてなし
チケット問題と大分の三試合
カメルーンと中津江村
W杯が大分にもたらしたもの——アフターワールドカップ
四 県民を一つにする大分トリニータ
四度目の正直とJ1の厚い壁
シャムスカマジック
綱渡りのクラブ経営
大分を統合する文化となったトリニータ
日本一、そして世界へ
V 周遊の大分観光(辻野功)
城と城下町の旅
大分極上名湯巡り
小説の舞台を訪ねる
遠藤周作『王の挽歌』(大分市・臼杵市・津久見市)
火野葦平『ただいま零匹』(大分市・別府市)
織田作之助「続 夫婦善哉」(別府市)
川端康成「波千鳥」(別府市・九重町・竹田市)
檀一雄「女の牧歌」(九重町宝泉寺温泉)
菊池寛「恩讐の彼方に」(中津市本耶馬溪町)
菊池寛「忠直卿行状記」(大分市)
城山三郎『指揮官たちの特攻』・阿川弘之『雲の墓標』(宇佐市・中津市・別府市・大分市)
「寅さん映画」ロケ地の旅
ミュージアムの旅
あとがき
前書きなど
あとがき
本書サブタイトルの「大分は�ドイツの魅力�」は、二〇〇二(平成一四)年四月から日本文理大学で始めた公開講義「大分学」の私の第一回目のタイトルであった。「このタイトルはどういう意味だ?」と関心を持って参加された方に、大分市鶴崎の北川徹明氏がいた。北川氏は「大分人は自分が住んでいる地域の素晴らしさを発見し、もっと誇りを持たなければいけない」との私の提言に触発され、その年の秋には熊本藩の飛び領地であった鶴崎の歴史マップを作成された。その後も「肥後街道フェスタ in 鶴崎」を立ち上げられ、現在では「大分の鶴崎から日本の鶴崎へ」を合言葉に、鶴崎歴史公園の建設に取り組まれている。その公園には幕末に鶴崎を訪れた勝海舟・坂本龍馬の銅像と歌碑を建て、さらに細川家御殿を熊本から移築する予定である。私も一臂の力をお貸しすべく、「勝海舟・坂本龍馬の銅像と歌碑を建てる会」の会長を引き受けている。大分学がこのような影響を持てたのは、望外の喜びである。
大分学講座は大分県庁の協力を得て、「大分学講座 in 東京」へと発展している。大分の魅力を首都東京で情報発信したいためである。東京近辺の方のご参加を期待しているが、関心のある方は大分県庁観光・地域振興局にお問い合わせ頂きたい。
本書第四章「統合の文化・大分トリニータ」は当初私が執筆する予定で、数年来資料も集めていた。しかし私より楢本譲司氏の方が適任であると思い、執筆をお願いした。思ったとおりであった。ある意味で当事者であった楢本氏は、当事者でないと知らないエピソードも交え、大分トリニータが情熱以外何もないところからスタートしてナビスコ杯で優勝するまでの苦難の歴史をまとめて下さった。いまや大分トリニータは大分県民共有の宝である。なにしろナビスコ杯決勝戦には、二万近くの大分人が国立競技場に応援に馳せ参じたのである。その大分トリニータの歴史が初めて明らかになった。大分トリニータファンのみならず、全国のサッカーファンに読んで頂けると喜んでいる。
本書の叙述の一部が前著『大分学——移り住むなら豊の国・大分』と重複する部分がある。しかし前著より調査を深めて記述してあるので、お許し頂きたい。
最後に超ご多忙のなか、序文を寄せて頂いた桑野和泉さんと溝畑宏氏に深く感謝する。特に桑野さんは「私どもも、『大分学』をまた次世代へとつなげていきます」とおっしゃって下さった。大分学が若い世代によって継承発展されることが、私の願いである。私自身は本年度末で別府大学を去るが、大分に留まり、大分の魅力の語り部の生活を続けていきたいと希望している。ご支援頂ければ幸いである。
二〇〇八年一一月一日
大分トリニータのナビスコ杯優勝を祝しつつ 辻野 功