目次
はじめに
序章 インドネシア人の国際移動と渡日の背景・現状(奧島美夏)
第1部 日本で学ぶ
第1章 グローバル化時代の日本留学 日本の留学生受け入れとインドネシア人留学生(池上重弘)
第2章 日本への関心と日本語学習 インドネシアにおける日本語教育の課題(吹原豊)
第2部 日本で働く
第3章 インドネシアから来た船乗りたち 遠洋船から近海漁業研修まで(奧島美夏)
第4章 外国人研修制度の中のインドネシア人 群馬県太田市のマツモト事件から(上野妙子)
コラム1 インドネシア人研修生のプロフィールと自助活動(エコ・サソンコ・プリヤディ/イコ・プラムディオノ)
第5章 日系インドネシア人の集住化と就労ネットワーク 茨城県大洗町のミナハサ族コミュニティ(目黒潮)
第6章 インドネシア人労働者の日本語自然習得 茨城県大洗町の事例から(助川泰彦/吹原豊)
第7章 日系インドネシア人の就労と日系人社会の形成 長野県上田地方スマトラ北部出身者の事例から(坂井隆)
第3部 日本で暮らす
第8章 結婚と家族の形成・定住化 親睦交流団体の活動と個人の日常的実践(吉田正紀)
コラム2 滞日主婦のとまどい 「主婦」の位置づけと生活文化の違い(フェミナ・サギタ・ボルアロゴ)
第9章 ムスリムを育てる自助教育 名古屋市における児童教育の実践と葛藤(服部美奈)
コラム3 地方社会のムスリム食事情 岡山県におけるハラール食品の製造と流通(山口裕子)
コラム4 芸能による自己表現 在日バリ島民の連帯と活動(皆川厚一)
第10章 宗教・宗派を超える相互扶助の試み 日本におけるインドネシア人教会の展開と可能性(奧島美夏)
第4部 アジア太平洋に広がるインドネシア人の移動・就労
第11章 東アジアで就労する家事・介護労働者(安里和晃)
コラム5 インドネシア国家の女性移住労働者問題への取り組み「女性に対する暴力反対国家委員会」を例として(木村健二)
第12章 看護・介護職の現状と近年の制度改革 先進諸国やASEAN域内互換制度枠への送り出しをめざして(奧島美夏)
第13章 オーストラリア・シドニーのインドネシア人社会と自助組織(池上重弘)
執筆者紹介
前書きなど
はじめに(一部抜粋)
本書は神田外語大学異文化コミュニケーション研究所の共同研究プロジェクト「日本のインドネシア人社会」(2004〜06年度)の成果論集である。本研究では近年国内で急増しているインドネシア人集団を取り上げ、そこに表象される多民族国家インドネシアならではの多様な言語文化・宗教・経済階層や、コミュニティの形成過程、近年の送り出し状況などについて学際研究を行ってきた。収録された論文・コラムの大半は、執筆者各自の研究成果を全4回のワークショップで口頭発表したものと、日本・インドネシアなどで行った共同調査をもとに『異文化コミュニケーション研究』(17〜20号)に掲載した論文を大幅に加筆修正したものである。
(…中略…)
そのうえで、第1部「日本で学ぶ」では戦前から存在したインドネシア人留学生および就学生を取り上げ、その制度的概要や本国の日本語学習状況を紹介する。
第1章(池上)は、在留統計では年間2000人弱のインドネシア人留学生は理工系中心で国費留学生も多く、帰国後は指導的役割を担う存在であるばかりでなく、日本でもIT業界などへの就職が伸びつつあること、またインドネシア側でも留学先が従来の欧米中心からASEAN域内や日本などアジア諸国へ広がりつつあることを報告する。
第2章(吹原)では、インドネシアの高等教育制度において、日本語教育は国際交流基金の支援拠点地域を中心に大学だけでなく高校などでも積極的に採用され、学習熱も高まっている反面、進学・就職機会はきわめて限定的で、多数が国内の日系企業や日本の技能研修、資格外就労などに流れるか、まったく日本語を活かせない現状が指摘されている。
第2部「日本で働く」では、在日インドネシア人の大多数を占める移住労働者の多様な在留資格と職種、そして労働条件などを検証する。
第3章(奧島)はグローバル化の波に乗って1980年代以降日本へやって来たインドネシア人労働者のうち、早期から多かった漁船員を取り上げ、その特殊な雇用体系と後年導入された漁業研修制度や漁船マルシップを概観し、英語力や資格免状が問われる商船員を占めるフィリピン人との比較から、両国の送り出し政策の相違と問題点を明らかにする。
斡旋構造に関する不正や汚職、教育制度の不備などは、続く各論文でも繰り返し指摘され、インドネシア人移住労働者全般に共通した問題であることがわかるだろう。第4章とコラム1は、インドネシア人在留登録者の半数近い技能研修生・実習生を取り上げる。
第4章(上野)は研修制度の期間が延長され、受け入れ人数も拡大され始めた90年代前半に、すでに本来の理念と実態が乖離した制度の中で苦しんでいたインドネシア人研修生の一団が、筆者の助力を得て労働基準監督署に訴え、権利主張を試みるに至った経緯を報告している。
コラム1(プリヤディ、プラムディオノ)では、日本人が抱きがちな先入観と異なり、研修生の多くは出稼ぎを余儀なくされた最下層の出身ではなく、学歴、親の職歴ともやや高めで、国内の劣悪な職場をあえて避けたり、弟妹の進学費用を捻出する目的で来日しており、余暇活動やNGOとの連携などの自助努力も行うといった多様な側面を紹介する。
さらに、第5・6・7章は90年代末から増えている日系人労働者を取り上げ、同国・他国の研修生や資格外就労者などとの競合・共生関係にも焦点を当てる。
第5章(目黒)では、旧宗主国オランダや日本との歴史的つながりから移住労働の盛んなスラウェシ島北部の少数民族が、今日その集住地域として知られる茨城県大洗町にコミュニティを形成してゆく過程と、近年はその血縁・地縁関係などを頼りに北関東や中部の製造工場にも進出している現状を報告する。
第6章(助川、吹原)も同地域の労働者を対象に、日本語習得状況と基本的属性、労働環境などとの相関関係を分析し、全般に年齢や滞在期間にかかわらずきわめて低い日本語力にとどまっている実態と、学習意欲を阻む要因として民族・文化的相違や雇用主側の指導の欠如などが考えられることを指摘している。
一方、第7章(坂井)は、日本軍政期の残留兵が多かったスマトラ島北部の日系子孫が、出稼ぎ拠点のひとつとして長野県上田市に集住するようになった経緯と、その初期の送り出しにかかわった残留兵の相互扶助組織「福祉友の会」の、成立から近年の日本への就労斡旋にまで至る歴史的背景を紹介している。
第3部「日本で暮らす」では、在日インドネシア人の日常生活の諸相を紹介し、そこにみる彼らの多元的価値観とその維持・変容について論じる。
まず第8章(吉田)では、「アジアの花嫁」といった結婚移民に対する偏見も多い中で、近年は留学などを通じて日本人配偶者となるインドネシア人女性も増え、個々の家庭や親睦交流会を通じて、同胞や日本人家族と協力しながら日々の文化摩擦や家族問題などに対処し、定住者としての地位も高めてゆく前向きな側面に光を当てている。
またコラム2(ボルアロゴ)も、インドネシア人留学生や会社員に伴われて来日した妻たちが、終日拘束されることも多い夫や、そのために家事・育児をひとりで背負わされがちな日本的主婦のあり方にとまどい、疎外感や無力感に打ちひしがれたり、違いを柔軟に受け入れて適応したりと、さまざまな選択がみられることを指摘する。
続く第9・10章とコラム3・4は、インドネシアの公認宗教であるイスラーム、ヒンドゥー教、キリスト教を取り上げて、個々人の信仰から児童の価値形成、食生活、芸術表現、そして移民支援まで、インドネシア人にとって宗教のもつ幅広い文脈を浮き彫りにする。
第9章(服部)は、本国人口の8〜9割を占め、幼少時からの宗教実践を重視するイスラーム教徒が、子弟の通う日本の学校の給食や学校行事などに配慮するばかりでなく、保護者のボランティアによる学習会や本国教育機関による遠隔教育制度も利用して、宗教的価値観を習得できるよう努力を重ねているさまを報告する。
コラム3(山口)でも、イスラームの食生活における実践をめぐって、地方社会の留学生や研修生がハラール食品を遠方まで買い出しに行ったり、なしで済ませたりする一方、彼らを顧客とする小売業者も公式機関の認定を受けないまま加工・販売を行ったり、絶対数の少ない購買者層の確保に苦労するなど、制約の多い現状が紹介されている。
コラム4(皆川)は、日本人のバリ観光・留学が盛んになった80年代後半から、多数のバリ島民が日本人と結婚してヒンドゥー芸能を日本に普及させた過程で、ガムラン演奏や舞踊が同郷会の宗教行事として再現されるだけでなく、日本人演奏家・愛好家との交流や創作活動を通じて彼らの自己表現の手段ともなっていることを指摘する。
第10章(奧島)では、本国では少数派だが先進諸国と密接な関係をもつキリスト教徒が、日本の既存教会やインドネシア公館の庇護下から独立した教会組織へと成長し、教派間や他宗教との連携にも積極的であることから、将来的に香港や台湾などの近隣諸国にみるようなインドネシア人労働者支援の媒体ともなる可能性について検討する。
第4部「アジア太平洋に広がるインドネシア人の移動・就労」では、インドネシア人の移動を国際的な視点から鳥瞰し、今後の動向分析や制度改革の比較材料として、主要受け入れ諸国からいくつかの事例を紹介し、米国同時多発テロや石油不況、経済圏の形成などによって刻々と変化する二国間制度と課題を整理する。
第11章(安里)では、54万人の外国人家事・介護労働者が働くアジアNIEsにおいて、劣悪な単純労働職であるうえ、周辺諸国とも競合せねばならないインドネシア政府と移住労働者が、送り出し制度改革以前はフィリピン人労働者などよりも給与額や休日を少なく設定されるという差別に甘んじることで、受け入れ枠を拡大してきたことを明らかにする。
コラム5(木村)も、従来の送り出し政策で黙認されていた資格外就労者が、米国同時多発テロ以降は一転して各国で厳しく規制されるようになり、インドネシア政府も移住労働者の保護・支援対策を講じる必要に迫られ、その一環として「女性に対する暴力反対国家委員会」を設置した経緯と主な活動を紹介している。
さらに第12章(奧島)は、単純労働者や資格外就労者に代えて看護師や専門的介護士などの熟練労働者を増やすという新たな戦略をインドネシアが打ち出し、すでに送り出し実績のある中東や欧米だけでなく、最近の日本との経済連携協定やASEAN域内互換制度の枠もめざして、教育・国家資格の整備や斡旋構造改革を進めている現況を報告する。
第13章(池上)は、世界第3位のインドネシア人移民受け入れ国であるオーストラリアにおいて、留学生や定住者、オランダからの移住者など多様な人々を抱合するコミュニティの成立過程と、その同郷会や相互扶助組織に求められるニーズも言語サービスや定住支援、高齢者ケア、若者のカウンセリングなどと多様化していることを報告する。
(…後略…)