目次
訳者まえがき
第一巻 イスラームの慧眼(1)
第一部 神学[神の存在を信じること]
第一講 青年期における思考力養成の重要性
第二講 理論の基礎
第三講 神を知る方法
第四講 秩序の証明(1)
第五講 秩序の証明(2)
第六講 天性の鏡に映る神
第七講 神の属性
第八講 唯一性と多神教
第九講 人間生活における信仰の反映
第二部 ふるまいと道徳
第十講 道徳形成
第十一講 友愛と友人選び
第十二講 預言者の生活に見る道徳(1)
第十三講 預言者の生活に見る道徳(2)
第三部 イスラーム法諸令
第十四講 イスラーム法諸令を知る(1)
第十五講 イスラーム法諸令を知る(2)
第十六講 イスラーム法諸令を知る(3)
第二巻 イスラームの慧眼(2)
第一部 預言者
第一講 マクタブが人間に必要であること
第二講 天啓のマクタブの必要性
第三講 預言者たちの特有性
第四講 預言者たちの文化的・社会的役割
第五講 宗教はひとつか、複数か
第六講 クルアーン、永遠の奇跡
第二部 イマーム
第七講 イマームとヴェラーヤト
第八講 クルアーンとスンナから見たイマーム
第九講 イマームの特性
第十講 イスラームの行く手におけるイマームたちの役割(1)
第十一講 イスラームの行く手におけるイマームたちの役割(2)
第十二講 約束されたメヘディ
第十三講 イスラームの歴史観における真理の最終的勝利
第十四講 イジュテハード
第三部 イスラーム法諸令
第十五講 神崇拝の規律
第十六講 経済的規律
訳者あとがき
索引
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『イランのシーア派イスラーム学教科書 II』
第三巻 イスラームの慧眼(3)
第一部 守護と統治
第二部 死後の生活
第三部 道徳
第四部 イスラーム諸法令(アフカーム)
第四巻 イスラームの慧眼(4)
第一部 人間認識
第二部 イスラームにおける家庭の基礎
前書きなど
訳者まえがき
イランはイスラーム・シーア派を国教とし、その教義に由来する政教一致の独特の統治体制を持つ国である。イランがシーア派を奉じる国家となったのはサファヴィ朝(西暦1501-1736年)の成立以来であるが、シーア派の考え方やものの見方は、イランの国民性や人々の行動様式、思考様式と密接不可分に関わっており、イランとそこに住む人々を知る上で、看過できない側面であると言える。
パフラヴィー朝期(西暦1925-79年)、イランは西欧近代化を専制的国王の下で推進したが、1979年のイラン・イスラーム革命後、ホメイニー師(西暦1902-89年)の指導下で、またホメイニー師の没後は後継者ハーメネイ師の下で、近代西欧の文化に対して一線を画し、シーア派の教義に立脚した統治体制と文化の維持に努めてきた。たとえばその統治体制は、イスラーム法学者が最高指導者(信徒の守護を担うイスラーム法学者:ヴァリーイェ・ファギー)として指導監督する形をとる。これは十二イマーム・シーア派の信徒にとって本来の守護者・指導者は第十二代イマームであるが、10世紀以来このイマームがお隠れであるため、イスラーム法学者がこのイマームの代理を務める、という教義に基づく。この教義に基づく統治体制をヴェラーヤテ・ファギー(イスラーム法学者による監督指導)体制と呼ぶ。
このような統治体制の下での人間観そして社会や文化の価値観は、近代化あるいは西欧化を当然視し、欧米の価値観や歴史をもって尺度とし基準としてきた我々にとっては異質であるが、同時に我々の社会の価値観や歴史観を相対的に見て客観的に考える契機を与えているとも言えよう。
以下はシーア派の教えと道徳に関するイラン政府国定の高校教科書の翻訳であり、高校第一、第二学年度分にあたる。十二イマーム・シーア派イスラームの教義を高校教科書として一般向けに平易に説いたものであるため、イランの人々だけでなく、我々にとってもわかりやすいものと言える(ただし、各巻のイスラーム諸令は必ずしも日本人一般の関心を引くかどうか不明である。この箇所を省いて読みすすまれるのも一法であろう)。
(…後略…)