目次
中国東北関係略図
間島地方地図
序章
1 問題意識
2 研究の課題と意義
3 先行研究の分析
4 本書の構成
5 史資料の概要と特徴
第一章 一九〇〇年代における朝鮮人学校と中等教育
第一節 朝鮮人の間島移住と法的地位
1 朝鮮人の間島移住
2 清国の朝鮮人帰化政策
3 日本の間島侵出と朝鮮人の法的地位
第二節 清国の朝鮮人教育
1 間島における清国人教育
2 清国の朝鮮人教育
第三節 移住朝鮮人の教育の営み——書堂教育から中等教育への挑戦
1 移住初期における書堂教育
2 宗教の伝来と学校教育の形成
3 瑞甸書塾における中等教育の開始
第四節 統監府臨時間島派出所の朝鮮人教育
1 間島普通学校の設立
2 「間島私立学校内規」の公布
小括
第二章 一九一〇年代朝鮮人による中等教育の発展
第一節 「墾民教育会」の設立とその活動
1 設立の背景と経緯
2 「墾民教育会」の諸活動
3 「墾民会」の発足と解散
第二節 朝鮮人中等教育の勃興
1 明東中学校(和龍県)と昌東学院
2 開東中学堂と鍾鳴中学堂の設立計画と挫折
3 「墾民模範学堂」と光成中学校
第三節 中華民国初期に設立された朝鮮人中学校と軍事学校
1 間島の中学校と大甸武官学校
2 北一中学校——大甸武官学校の後身
3 明東中学校(汪清県)と正東中学校
第四節 間島三・一三反日独立運動と中学生の武装独立運動
1 間島三・一三反日独立運動と中学生たちの活躍
2 中国および日本の弾圧
3 間島三・一三反日独立運動の意義と評価
4 武装独立運動と十里坪士官錬成所
第五節 朝鮮人中学校の実態と教育内容
1 日本官憲の間島の中学校認識と各地からの留学生
2 修業年限
3 教育内容
小括
第三章 日本の朝鮮人初等教育・実業教育の実施と中等教育弾圧
第一節 日本の朝鮮人初等教育の拡大
1 補助書堂の展開
2 間島普通学校分校の設立
第二節 間島簡易農業学校と日本の中等教育政策
第三節 間島事件における日本の朝鮮人中等教育弾圧
1 間島事件の背景と出兵経緯
2 日本軍の朝鮮人虐殺
3 教育の被害と中学校
小括
第四章 中華民国期の官立中等学校における朝鮮人教育
第一節 中華民国の教育方針と「画一墾民教育弁法」の実施
1 「弁法」の公布と中等学校規定
2 「弁法」に対する朝鮮人の反応
3 「弁法」の実施
第二節 延吉道立中学校における朝鮮人教育
1 初等教育の普及
2 延吉道立中学校における朝鮮人教育
第三節 延吉道立師範学校における朝鮮人教育
小括
第五章 外国人宣教師と朝鮮人中等教育
第一節 キリスト教系初等学校と外国人宣教師
1 間島に進出した外国人宗教組織
2 キリスト教系初等学校と外国人宣教師
第二節 カナダ人宣教師による中学校教育
1 明信女学校高等科
2 恩真中学校
小括
終章
あとがき
巻末資料
史料「間島ニ関スル日清協約」
間島関係写真資料(一九〇〇〜二〇年代)
間島教育年表
参考文献
索引
前書きなど
序章:4・本書の構成
(…前略…)
(2)論文の構成
本書は、序章と終章および、五つの章から成り立っている。
序章では、中等教育の視点からの研究が存在せず、一九二〇年まで間島の朝鮮人による中等教育機関はなかったとまでいわれる研究状況を踏まえて、朝鮮人や外国人宣教師による中等教育、および中国・日本の朝鮮人中等教育政策を明らかにするといった本研究の課題を提示する。同時に、本研究の研究史上の位置付けや現代的な意義を述べておく。そして、使用する史資料を紹介し、その特徴を明記する。また、間島における多種類の学校について説明し、講読の便宜を図る。
第一章では、朝鮮人教育を中心に一九〇〇年代までの間島教育を概観する。まず、朝鮮人の間島移住の沿革を整理し、清国の帰化政策および日本の間島侵出と日中両国による朝鮮人の法的地位の「確定」過程を考察する。次に、間島における清国人の初等・中等教育を検討する。これは主として、朝鮮人教育の理解を深めるためであるが、研究の乏しい間島の清国人教育の解明にもつながると思われる。そして、清国官立学校における同化を目的とする朝鮮人教育についても分析する。さらに、移住初期における書堂教育、宗教の伝来による学校教育の発生、瑞甸書塾における中等教育のはじまりを追う。最後に、日本が間島に設置した統監府臨時間島派出所の朝鮮人教育を検討する。
第二章では、一九一〇年代朝鮮人による中等教育を対象として考察する。まず、中等教育をはじめとする間島の朝鮮人教育に大きな足跡を残した朝鮮人団体である墾民教育会の教育・布教、および帰化活動を解明し、一九一〇〜一一年における朝鮮人中等教育の勃興について論じる。次に、民国初期(一九一二〜一七)に設立された朝鮮人中学校と軍事学校を考察し、両者の関わりを究明する。さらに、間島における三・一運動といえる三・一三反日独立運動における中学生の活躍を明らかにし、中国のこの運動に対する弾圧と私立学校弾圧を検討する。また、その後の間島における反日独立運動の武装化傾向にともなって設立された軍事学校を考察する。最後に、修業年限やカリキュラムなどからして間島の朝鮮人は中等教育をおこない、その一部の学校は中学校にふさわしい側面があったことを新しい史料に基づいて検証する。同時に、これらの中学校における教育内容を考察する。
第三章では、一九一〇年代、間島における日本の初等教育・実業教育の重視と中等教育の制限、弾圧政策を検討する。具体的には、補助書堂や間島普通学校分校の設立の過程およびその教育内容を分析するとともに、間島簡易農業学校と日本の朝鮮人中等教育政策の特徴を考察する。また、一九二〇年の間島事件における日本軍の朝鮮人虐殺、および中学校をはじめとする朝鮮人教育に対する弾圧の実態を明らかにする。
第四章では、一九一五年、延吉道尹公署が公布した朝鮮人教育に関する重要な法令である「画一墾民教育弁法」の背景や内容、および実施過程を考察し、同法令に対する間島の朝鮮人の対応を分析する。また、民国成立後、間島の中国人初等教育の普及状況を概観し、中国官立中学校および師範学校における朝鮮人教育について検討する。
第五章では、間島に宣教師を派遣したパリ外邦伝教会およびカナダ長老教会組織について概観し、その外国人宣教師の朝鮮人に対する態度や、間島の朝鮮人教育および独立運動との関わりを分析する。そして、カナダ長老教会の宣教師が設立・経営した小中学校の実態を究明する。
終章では、各章の要旨をまとめ、そこから得た知見を述べるとともに、朝鮮人と外国人宣教師および日中といった四つのファクターの朝鮮人中等教育への関わりを比較し、それぞれの特徴を明らかにする。そして、論文の意義について改めて言及し、最後に、今後の研究課題を指摘する。
(…後略…)