目次
はじめに
1 理科教育の現場と教師たち
1 フィンランド取材から2年 新聞記者が見た理科の授業
2 教師から見た中学校理科教育の現場
3 コンピュータ・サイエンスから見た知識観
4 学習の現場から エピソード集
(1)ティーチングかラーニングか
(2)身近な対象からマクロ、そしてミクロへ
(3)子どものための科学博物館
(4)実験が先か、講義が先か
(5)フィンランドの意外な世界一と国民性
(6)学ぶ意欲を引き出すフィンランドの理科
(7)修士号を二つ取得することの意味
2 小学校:カリキュラムと教科書
1 理科カリキュラムの枠組み
2 理科教育の基礎をつくる
3 5、6年生で学ぶ物理・化学
3 中学校:カリキュラムと教科書
1 物理・化学分野を学ぶ
2 特徴ある生物
4 生物・化学教員養成
1 多様で柔軟な教員養成カリキュラム
5 フィンランドの教育とPISA
1 フィンランドの教育概観 学校制度とその特徴
2 教育先進国に見る新しい学力観
6 フィンランドの理科教育から何を学ぶか
1 三つのキーワードで読み解くこれからの理科教育
フィンランドの理科(生物)用語集
前書きなど
はじめに
21世紀の理科教育のために
森と湖の国と言われているフィンランドは、1990年代に未曾有の経済危機に陥りながらも、21世紀に入りIT産業を中心に世界屈指の国際競争力を維持している。そこは、かつて高度経済成長期に科学技術立国を誇っていた日本の指定席でもあった。熾烈なる国際社会において競争力を維持するには、創造性や独創性が発揮されなければならない。「それを生み出すには教育に何か工夫があるに違いない」——この単純な疑問が、フィンランドの教育研究のスタートの動機であった。2002年のことである。
本書を執筆した私たち6名は、海外の比較教育の専門家ではない。それぞれ活動するジャンルが違う集団である。しかし、それゆえにこの疑問に対して本書は通常の外国教育の紹介本とは異なる、独自の切り口と説得力をもつこととなった。
調査は、おもに小学校、中学校、高等学校に出向き、特に授業をフルタイムで参観してから授業者や生徒たちと議論するといった泥くさい方法を積み重ねていった。教育現場に深く入り込むのは、公表されている教育制度や教育課程ではわからぬ、フィンランドの生の学習内容や指導方法の実態を肌で感じるためである。しかし、調査を重ね知れば知るほど、さらにわからなくなることも事実であった。それは、この国がもつ多様性にほかならない。
フィンランドの家庭にも入った。多くのヘルシンキの人々がそうであるように、週末には橋のない凍った湖を渡し船で渡り、ランプを灯したコテッジでひとときを過ごした。本を読みサウナに入り談笑する、そして、夕方には自然豊かな森のなかを犬とともに散歩した。その空間に身を置いてみると、フィンランド国民の素朴で真面目な姿を実感するとともに、自然と人間のいとなみ、そして文化が表裏一体となった生活を肌で感じ取ることができる。学力世界一、卓越した教師の指導力、高度な学習内容、工夫された教員養成などフィンランドを形容する言葉は、今日枚挙に暇がないほど多いが、この感覚と奥深さは、フィンランドの教育を語るうえで見逃してはならない。
フィンランドの理科教育をただやみくもに賞賛するつもりはない。また、他国の教育を安易に紹介し導入することは避けなければならない。なぜなら、教育は歴史的背景に依存し、社会のシステムとリンクするからである。たとえば、日本は競争社会であるが、フィンランドは個人の自己実現を主とする国であり、高度福祉国家なのである。しかし、フィンランドには明確な教育理念が存在している。教育に対する高い関心とそれにともなう国民の共通理解がある。高度な学習内容など、さまざまな形容句を調査で目の当たりにするとき、かつての日本の姿とオーバーラップすることに気づく。
私たちは、6年間にわたるフィンランドの理科教育の調査で得たさまざまな情報や、文献・書籍を分析した結果を本書に著す。それは、フィンランドの教育事情からはじまり、理科教育の概要や学習指導要領の詳細、そして学習内容や教員養成の詳細、また進化する世界の学力観といった内容を含んでいる。さまざまな視点から、21世紀の日本の教育再生のヒントとなるものを読み取っていただけることを私たちは心から願っている。
2007年9月
鈴木 誠