目次
まえがき
第一章 はじめに——『マレー・ジレンマ』
第二章 政治背景
第三章 不和の種
第四章 ふたたび『マレー・ジレンマ』
第五章 中国人の不満
第六章 アメリカン・ジレンマ
第七章 アファーマティブ・アクション——アメリカとマレーシア
第八章 アファーマティブ・アクションへの批判
第九章 移民中国人社会
第十章 醜いチャイナマン
第十一章 マイノリティーの経験を比較する
第十二章 文化をまたぐ
第十三章 バランスをみつける
第十四章 新経済政策(NEP)を見直す
第十五章 未来をみつめて
前書きなど
まえがき
今から四半世紀以上前、マハティール・ビン・モハマドの『マレー・ジレンマ』(一九七〇)〔高多理吉訳、井村文化事業社刊、勁草書房発売、一九八三年〕を読んだときから、私はマレーシアの「チャイニーズ・ジレンマ」について考えつづけてきた。そして一九九〇年ころから、その思いを紙の上に記しはじめた。私には必要な学識もなく、資料を集めるのは困難をきわめ、筆は遅々として進まなかった。
一九九二年に、私はリン・パンの著書『華人の歴史』(一九九〇)〔片柳和子訳、みすず書房、一九九五年〕と出会った。故国中国を離れ、海外に活路を求めた数百万の中国人移民について書かれたこの冒険物語(サーガ)を読んで、私は二つのことに気づいた。第一は、これらの人々の味わった迫害、残虐行為、恥辱が、彼らのたどりついた土地の現地人ではなく、白人入植者(マニラのスペイン人、バタビアのオランダ人、オーストラリアやカナダの英国人、カリフォルニアのアメリカ白人)によるものだったことである。第二に、この著者の協力をえられれば、私は自分の本が書けると同時に、それをもっと良い仕上がりにできるのではないかと考えた。著者の英語力と、中国人ディアスポラ〔国外離散した人々、移民集団〕の歴史についての深い見識を活用できれば、私の「チャイニーズ・ジレンマ」を言葉にする試みも日の目を見るのではあるまいか。
私は出版社を通じて著者と接触し、何度も面会して、この本の内容について長いこと話し合った。彼女はグンナー・ミュルダールの『アメリカン・ジレンマ——黒人問題と近代デモクラシー(An American Dilemma: The Negro Problem and Modern Democracy)』(一九四四)と、トマス・ソーウェルの『国際的観点から見た優遇政策(Preferential Policies: An International Perspective)』(一九九〇)の二冊の本を紹介してくれた。これを読んで、私は誰かがマレーシアの「チャイニーズ・ジレンマ」についてきちんと書く必要があるという思いをいよいよ強くした。
リン・パン氏が助力に同意してくれたことに心から感謝する。さもなくば、私はいまだに結果を出せず、もがきまわっていたにちがいない。単純きわまる文章を何度もくり返しタイプしてくれた忠実な助手の許冰苑(シュー・ビンユエン)、またマレーシアの中国人社会についての知識と賢明な洞察で、さまざまな問題について私の理解を深めてくれた同級生の陳漢強(チェン・ハンチアン)、この二人にも感謝しなくてはならない。
本書の論点、観点、およびそこに生じた舌足らずな点、これらすべての責任は私にある。こうした観点について友人たちと議論を戦わせ、仕上がりかけた原稿を読んでもらったことは、たいへん有益だった。本書のテーマが人々に呼び起こす感情については承知していたものの、それがいまだにどれほどきわどいものでありつづけているかを知って、私は正直驚いた。人種というスペクトルを超えた、たくさんの友人に対して私が言えるのは、ただどうか私を信じてほしい、あるいは少なくとも大目に見ていただきたいということだけである。ここに記した内容は、どちらかの側の得点稼ぎではなく、わが国の人種のあいだに理解を育てるためのものである。