目次
日本の読者へ 悦びの技法(アレクサンドル・ジョリアン)
序文 弱き者の力(ミシェル・オンフレー)
はじめに[著者による序言]
1 愉しげな闘争について
まず立ち上がろう、文学はそのあとだ!
2 人間のかけがえなさについて
すべての「社会的に恵まれない者たち」?
3 苦しみについて あるいは船に帆を揚げて出発する技法
源泉としての悲劇的なものについて
取るに足らない無根拠性について(あるいは、なによりも愉しげな利益)
4 肉体について
肉体が学ぶこと
5 自己をゆがめるもの
6 ぼくを異質な存在だと思いたい同胞
7 人間という仕事
訳者後記 新たな人間学のために(塚原史)
前書きなど
悦びの技法
このエッセー〔本書〕は、人間の大いなる経験を哲学的に考察する試みです。プラトン、アリストテレス、そしてショーペンハウアーが、驚きは哲学的思索の源泉であると主張したとはいえ、以下のページは、その起源を人間という危険をはらんだ仕事を愉しげに引き受けることの困難と、そこから生じる問いかけのうちに見出すことになります。私の人生は、身体的ハンディキャップをもつ人びとのためのセンターではじまったのですが、そこでは、ひとりでは何ひとつうまくいきませんでした。〔首に巻きついた〕へその緒が原因となった出生時の事故の結果、私は脳性運動機能障害者〔IMC〕となり、それから十七年を特別な施設で過ごしたのです。私の、哲学への飛躍、知への渇望が生まれたのは、身体、特異性、非=正常性によって集められた、この不思議な共同体のなかでした。
読者とともに、私は自分の生存の主要な精神的段階をたどりたかったのですが、私の生存は、さまざまなかたちに屈折した愉しげな闘争に、すぐさま結びつくようになりました。それは、身体的に前進し、知的な自己解放をとげ、他人の視線のもとで他人とともに歩むための闘争です。この大冒険の過程で、哲学者たちが力を貸してくれました。ソクラテスとともに私が学んだのは、世界を変えることを望む以前に、現実を直視するやり方を自分自身に問いかけることでした。モンテーニュとともに私が悟ったのは、私たち人間のいちばん野蛮な病は、私たちの存在そのものを蔑視する病だということでした。ストア派は試練によって打ちのめされないための、いくつかの治療法を、私に伝えてくれました。つまり私にとって、哲学はひとつの救済手段として、個人のうえに重くのしかかる決定論と闘いながら、人生を賛美することの誘いとして、立ち現れたのです。哲学はたしかに、苦痛が最後の言葉とはならず、苦痛から生の蔑視が生み出されないために、複数の地平線を開くことを可能にしてくれます。こうして、ニーチェの歩みにならって、あきらめや苦痛礼賛や〔苦痛の〕寓話化とは一線を画する道を、私はたどろうと努めたのでした。
『人間という仕事』は、また、私に存在の意味をあたえてくれた師たちを再訪する思索に結びついています。哲学者たちが、私にとっては学校生活そのものを構成していたとすれば、ハンディキャップをもつ他の生徒たちの存在は、接近不可能な外部という名目で私に現実を否認させる多くの偏見から、私を解放してくれました。しばしば、知の探求は、ひとをかぎりなく豊かにする過程として認識されます。つまり、ひとが何者かになるために、経験を積み重ね、知を積み重ねることが課題なのです。もっとも弱い人びととともに、私が発見したのは、外観を眺めまわすだけのあの視線、自分以外の人間を証明書や診断書やレッテルに還元するあの視線を忘れ去ることへの誘いでした。彼らのおかげで、人間の条件に内在する諸問題をいいかげんなやり方で決着しようとするさまざまな理論を、私はすこしずつ手放すことができたのです。私はまた、「人生なんて、そんなものさ」というせりふをよろこんで受け入れるあきらめからも、離れることができました。
「嘲笑せず、涙せず、嫌悪せず、理解すること」という、スピノザが天才的に要約した直観にかりたてられて、私はまた、自分のふつうと違うふるまいがひきおこす嘲りを、むしろ歓迎するよう努めなくてはなりませんでした。自分自身を救済するために、私はさまざまな哲学者たちを呼び出して、すべてが自省や自己嫌悪やとじこもりの状態に向かっていたときに、あえて軽やかさを求めたのです。結局、この短いテクスト〔本書〕は、生きることをまるごと引き受け、生存のすべてを自由に使うことを可能にする精神状態の輪郭をはっきりさせてくれる、いくつかの道筋を提案するものなのです。現実の悲劇性は、不安定な状況(プレカリテ)〔=仮象性〕の上にさえ、いつでも接近できる自由な悦びを打ち立てるよう、私たちに誘いかけます。この悦びの探求が、本書の著者の人生と本書全体をつらぬいているのです。ひとが宗教に入るように、私が哲学に入るよう背中を押してくれたのは、まさにこの悦びでした。この悦びのために、私は闘い、この悦びとともに、私はいくつかの勝利をかちとったのです。ひとつの幸福論である以上に、本書は悦びへの招待、人生を前にして歓喜する技法、人びとを歓喜させる技法となりたがっています。
とはいえ、闘争に真の勝利はないし、おそらく、これからもありえないでしょう。ここでもまた、夢という言葉を忘れることが問題となります。夢とは、現実と妥協して、つねにより安易な道を進むための陰りない幸福感への憧れにほかなりません。紀元五世紀の哲学者、ボニシウス〔古代ローマの哲学者・政治家で、陰謀と呪術の嫌疑で死罪となる〕は、不当にも死刑になるまえに獄中で『哲学の慰めについて』を書き、自分は荷物をもたない旅人になりたいと述べています。逆説的に言えば、敵意との闘いに突入するための武器を鍛える企てである『人間という仕事』の執筆へと私を導いた願望は、不可能性と無力さに直面することになります。不遇と裂傷から完全に身を守ってくれるものなど、どこにも存在しないし、どんな生活の知恵も、私たちを苦痛から完璧に切り離してはくれません。けれども、この無力さがもたらすもの、それこそが軽やかさなのです。すべてを支配できるとする思い上がりや、私たちの弱さと絶縁したいという意思を放棄して、ありのままの人生を尊重し、悦びがいちばん予想されていないところに悦びをもたらしてくれる軽やかさです。モンテーニュの『エセー〔随想録〕』は、「私としては、それゆえ、私は人生(ラ・ヴィ)〔=生活〕を愛する」という、著者の奇妙な断定で終わっています。性急な判断は、この一行に凡庸さを見出すかもしれませんが、これ以上本質的なことはありません。哲学は別世界を構築するためにあるのではありません。哲学は、存在を身体もろとも腕にしっかりと抱きとめて、愛しむよう、私たちを誘うのです。
『人間という仕事』は、この無力さから出発します。ひとつの精神状態、ひとつの視線、つまり自己と他者を蔑視することから解放された生き方を築き上げるために、悦びを味わい、悦びをあたえるために。
AJ(アレクサンドル・ジョリアン)