目次
日本語版への序文——二つのマニラとニック・ホアキン●ビエンベニード・ルンベラ
ニーラッド——「マイ・ニーラ」という言葉
序文●アンドレス・クリストバル・クルス
読者に
地図 一八世紀のマニラ市街図
現在のマニラ市街図
現在のマニラ近郊図
1 出現の時
1 地盤の形成
2 流浪の祖先
3 帝権と統治
4 ソリマン対白人
5 聖ポテンシアナからペンテコステへ
6 「名高く信仰にあつい」
7 甚大な災難
8 僧服をまとった英雄たち
9 最初の国際ビジネス
10 イントラムロス
2 帝国の日々
1 セレスティアルの町パリアン
2 日本人町(ニッポニーズ)サン・ミゲル
3 サンレイの反乱
4 大混乱
5 オランダ人を阻止する
6 パラシオ・デル・ゴベルナドール
7 祝福された人の都市
8 マニラ・エストラムロス
9 帝国の太陽が沈む
10 基幹施設の整備
11 世紀の変わり目
3 革命の時代
1 始まりと終わり
2 一九世紀の初頭
3 学生運動と民衆パワー
4 世紀中葉
5 七二年のモティン(暴動)
6 リサールのマニラ
7 ボニファシオのマニラ
8 革命
9 三度目の陥落
10 もう一つの「反乱」
4 再臨の時代
1 拡大した都市
2 草分けとなったマニラの教師
3 旦那様と奥様に愛を込めて
4 保健衛生
5 消防士
6 「帝国の日々」
7 あれやこれや(オール・ザット・ジャズ)
8 「平時(ピースタイム)」
9 「通常どおり営業」
10 行動開始、月曜日
11 「非武装都市」
5 都市の解放
1 苛酷な歳月
2 アメリカ人(グリンゴ)が戻ってくる
3 イントラムロスの攻防戦
4 第三次共和国の始まり
5 自治都市へ
6 最初の二人の市長
7 モッズからデモへ
8 辺獄での滞在
9 月曜日と火曜日
結びにかえて
参考文献
監訳者あとがき●宮本靖介
マニラ関連年表
人名索引
事項索引
前書きなど
日本語版への序文——二つのマニラとニック・ホアキン
ニック・ホアキンは二つのマニラについて書いている。一つは、ノスタルジアによってロマンチックに描かれたマニラで、もう一つは、ジャーナリズムと歴史的な視点から描写されたマニラである。そしてこの両方の描写ともに、偉大な小説家の想像力が働いている。
前者としては戯曲『フィリピン人としてのある芸術家の肖像』(一九五二年)が挙げられる。ここでは、マニラは古代都市イントラムロスとして描かれている。この作品では、著名なフィリピン人芸術家が二人の娘のために寓意画を描く。焼け落ちる都市から年老いた男を背中におぶって脱出する若い男の絵だ。この芸術家は、自らも関わったフィリピン革命の文化的遺産を大切にすることを娘たちに思い出させようとしたのだった。時代設定は太平洋戦争が勃発する直前である。この戦争でイントラムロスは完全に破壊され、登場する一家も古都が日本軍による爆撃を受けた際に滅亡する。この物語は芸術家でありジャーナリストでもあった一家の友人(実はホアキン自身であるが)の回想となっている。今や滅亡してしまった文化やライフスタイルの好ましい記憶を守る者の役割を担うこの人物は、戯曲の最後で芸術家一家と古都の死を悼んで次のように誓う。「記憶することと歌うこと——それが私の使命だ」。
『物語マニラの歴史』Manila, My Manila(一九九九年)に登場するマニラは、現在の無秩序で入り乱れた都市そのものである。「若者向けの歴史書」を書くという本書執筆の動機との調和を保つため、ホアキンはマニラを歴史の創造物として紹介している。この都市ははじめ、パシッグ川の川岸に築かれた先植民時代のイスラム教徒居住区であったが、そこにスペイン植民者がのちに東洋におけるスペイン植民の前哨基地である政治的かつ経済的中心地を建設することになる。米国による植民統治期には、フィリピン人の経済や文化を統制するアメリカの権力の中枢としてさらに発展する。
ホアキンによるこの歴史書は、一人の芸術家が国内外の歴史家によって描かれたこれまでの記述の中から取りだしたデータや事実を再構築したものである。異なる情報源から首尾一貫した歴史を紡ぎ出すため、ホアキンは自身の研究によって補強した情報の断片をお互いに接合させるべく、自分の想像力を駆使しなければならなかった。
その結果、マニラの過去をたどりながら現在へと収斂してゆく魅力あふれる案内書が誕生した。本書はそもそも、現代の若いフィリピン人読者がマニラに親しみ、歴史がこの都市に与えたさまざまな表情を垣間見ることができるようにという意図から書かれたものだ。また、外国人読者にとっては、ニック・ホアキンが記憶し歌うと誓ったこの都市に関する詳細な展望図が得られる招待状となっている。このたび、監訳者の宮本靖介氏、訳者の橋本信彦・澤田公伸両氏による日本語版が刊行のはこびとなり、特にこれまでマニラを訪れた、あるいはこれから訪れる日本人読者にもこの招待状が送り届けられることになったのは、まことに喜ばしいことである。
フィリピン大学名誉教授(フィリピン文学)・文学博士
ビエンベニード・ルンベラ