目次
日本版序文
序文
概要
第1部 リスク・アセスメント
第1章 オーストラリアの後期中等教育制度におけるリスク分析手法の展開
第2章 フランスの学校におけるリスク・アセスメント
第3章 韓国の学校安全調査
第2部 危機管理の計画とマネジメント
第4章 日本における学校安全のアプローチ
第5章 ニューヨーク市における危機管理計画
第3部 インフラ面の整備
第6章 アイルランドの学校設計における安全の見直し
第7章 ギリシャにおける学校施設の安全
第8章 より安全な学校をめざすイギリスのプロジェクト
第9章 自然災害に対するメキシコ教育部局の行動計画
第4部 協働的アプローチ
第10章 国際的視点からの学校安全への総合的アプローチ
第11章 カナダにみる安全と配慮ある学習コミュニティの創造——「ともに道を照らそう」
第12章 マレーシアにおける学校安全プログラム設立のための戦略的な3者間連合
第13章 ビジョナリー——学校の暴力防止に関する欧州の国際的なインターネットポータルサイト
第14章 校内暴力——欧州の展望
第5部 教育、訓練そして支援
第15章 オーストラリアにおける学校危機管理のための教育と訓練
第16章 アルメニアの非常事態に対応する児童・生徒の訓練
第17章 フランスにおける主要な防災教育
刊行に携わった人々
あとがき
前書きなど
日本語版序文
本書は、OECD(経済協力開発機構)が2005年に刊行したLessons in Dangerの全訳である。直訳すると「危機のレッスン」だが、「危機に学ぶこと」というのがその意だろう。ただし、本書の副題には「School Safety and Security」があり、学校をめぐる安全対策が本書の内容なので、邦題も「学校の安全と危機管理」とした。しかし、本書を読んでいただければ、学校の安全を守り、子どもたちの命を守るには、まず市民全体の命と生活が保障される必要があり、そのためには、私たちが学校をめぐる危機から多くを学ぶ必要がある、ということの重要性も浮かび上がってくる。
私たちが学校の危機から何を学び、学んだ知識や技術をどのように教育や行政、そして広くは市民生活に活用するかについて、本書は多くの国々の例を示しながら問いかけてくる。
実際、本書で取り扱われた例に加えて、2004年12月にはインドネシア・スマトラ島沖地震が発生し、その津波は多数の沿岸諸国に被害を及ぼし、23万人以上の死者をもたらした。2005年8月には米国を大型ハリケーン「カトリーナ」が襲い、アラバマ州、ミシシッピー州やルイジアナ州が大きな被害にあい、特にニューオリンズ市は陸上面積中8割が水没、数千人の死者を出し市民生活も崩壊し、州の学校や大学といった教育的機能が停止した。同様に、地震国かつ火山国であり大型台風が毎年襲いくる日本では、毎年のように各地の学校の安全が脅かされ、日常的に自然災害の脅威にさらされているといっても過言ではない。
自然災害だけではなく、同時に人為的災害も、諸外国や日本の学校で相次いで起こっている。2004年9月には、ロシアの北オセチア共和国ベスランの学校占拠事件のテロにより330人以上の犠牲者が出ている。2005年7月には、イギリスでテロによる地下鉄爆破事件が発生している。国内では、2001年の大阪教育大学附属池田小学校事件後も、2003年12月京都府宇治市立宇治小学校に男が包丁を持って侵入、1年生2人に軽傷を負わせた。2005年2月には大阪府寝屋川市立中央小学校に17歳の少年が刃物をもち侵入、職員室で男女教員を刺し、男性教師が死亡した事件が発生している。
このように、学校の安全神話は消えかかっている。というよりも、自然や人間自身によって多くの危険がもたらされる学校は、神話という言葉が示すようにもともと安全な場所だったのだろうか? そこは、人間や社会が自らの意図的な努力でもって、安全な場所にしていくことが求められる場所なのではないだろうか? 地球の温暖化に伴う大型台風の発生件数増加、国際紛争の地域化や殺傷力の増大した武器使用、麻薬の普及などによる人為的被害の拡大など学校は多くの脅威にさらされ、その安全を守ること、つまり安全な環境で子どもたちの成長を保障するという権利を守るためには、いっそう優れた対策や計画を政府や専門家、そして市民がともに考え、実行することが求められる時代になってきた。
学校を守ることとは子どもたちの生命と未来を守ること、それは同時に国民や市民の教育機会を保障し、社会の未来を保障することを意味する。つまり、どの国にとっても、学校の安全は、教育の最優先課題なのである。学校の安全を確保し保障するためには学校教員はいうに及ばず、警察や運輸、医療などの行政各部局に加えて、建築家、危機管理コンサルタント、心理学者や社会学者などの専門家の協力、さらには地域住民の自主的協力が不可欠となる。
本書は、そうした視点に立って行われたOECDと米国教育省の協働事業の成果であり、緊急事態における学校の安全と安全保障についての意義ある国際会議の成果である。14カ国以上にわたる事例を踏まえながら、学校の安全と危機管理をめぐる多様な試みが紹介されている。その内容について、1リスクアセスメント、2危機管理の計画とマネジメント、3インフラ面の整備、4協働的アプローチ、5教育、訓練そして支援の5つの視点からの考察が行われている。その考察を通して、将来の教育に役立つ重要なヒントがいくつも示されている。
第一に、理念面では、韓国のように「安全が保障された教育環境を児童・生徒が得る権利」の保障を教育目的として国全体で明言し、優先的な施策をとる事例がある。
これは、学校の安全をどれだけ各国が優先的に考え、子どもの学習権として認識しているかという問題でもある。子どもたちの学力向上を教育の最重要問題と考える国も多い中、それ以前に学習の環境を守ること、子どもたちの命を守る環境を作ることがまず優先されるべき施策であろう。
第二に、学校の危機管理に関する研究へのヒントがいくつも示される。
その大前提として、学校の安全や危機管理の研究に、どれだけ各国の専門家が取り組み、専門的研究が進んでいるかという問題がある。日本では、いじめや虐待といった問題への研究は進んでいても、防犯対策や防災学習の研究がどれほど進んでいるのだろうか。各国ごとに研究への取り組み状況に大きな差異があることも本書からわかる。安全対策の現状を見ると、それぞれの国が受けた被害や事件が中心となり、学校の安全という広く長期的な視点で、多様な問題の要因や安全を脅かす傾向を分析し、総合的な取り組みを取ること自体が難しいことを本書は指摘している。しかし、学校の危機管理をめぐる多様な問題に世界が協働で取り組み、その知識や技術の共有化を図る必要のあることも事実である。
いくつかの章では、危機管理対策を行うための理論的な枠組みや実証的な分析の重要性を述べている。たとえば、枠組みの一つに、危機の分類がある。台風、地震、山火事などの自然災害だけでなく、人為的災害にもきわめて多様なものがある。テロ、停電、殺人、放火、破壊、窃盗などの犯罪や暴力事件だけではなく、エイズ・薬物・アルコール問題や科学技術による災害がある。また、多文化・多民族問題、いじめや校内暴力など心理・社会的問題が引き起こす危機もある。
さらに、自然と人為という分類だけではなく、危機には大規模災害から校内事件まで異なる規模による分類が考えられる。そこには、きわめて大規模なものから、対人的な小さな出来事までが含まれる。さらに洪水や台風による施設の崩壊といった物理的な被害から、薬物や虐待問題、心的傷害のように各個人の発達に心理的被害をもたらし、長期的な悪影響を及ぼすように、その浸透度も回復の措置も異なるものがある。災害は、空間的規模の大きい被害から時間的に長期にわたる被害を学校教育や個人の発達にもたらすのである。
これらの危機の分析や実践にあたっては、防犯教育や防災教育という概念使用には限界があり、学問や行政による分業化を引き起こす危険があること、総合的な対策のためには学際的な研究が必要とされること、しかし同時に総合化による詳細な考察の欠如の危険性もまたあることがわかる。
第三に、学校の危機管理の取り組みとして、行政や学校における危機のマネージメントという一貫した視点を持つのが本書の特徴である。そこでは、危機の評価からプロセス、予想される被害とその回復措置までが包括的に論じられ、事前の対策から、プロセスの対応、そして被害の軽減と回復措置の重要性も指摘されている。
本書の特に優れた点は、運営面における多様な支援や工夫が紹介されていることだろう。
国際的な協働、地域と学校の協働事例などの「制度的工夫」、災害救済機構や公的施設への「財政的支援」、監視カメラやインターネットなどの「安全のための技術開発」、教育面ではモデル校の実験や反社会的行動、校内暴力の防止などのプログラム開発、そして危機管理ツールや手順書を含む「防災や防犯のためのプログラムや教材とマニュアルの開発」である。
最後にまとめられている教職員や児童・生徒への訓練や教育、専門家養成プログラムなどの「防災教育と専門的人材の養成」は、日本でも今後いっそう力を入れて取り組まれる必要がある支援策だろう。学校の構成員である生徒や教員が自ら身を守る知識と技術を身につけることは、防災学習の初歩だろうし、同時に学校の安全を守る専門家の養成を行うことがさらに求められるだろう。実際、日本でも平成17年度より地域学校安全指導員(スクールガード・リーダー)の育成と配置が始まるという。その成果を期待したい。
本書の翻訳にあたっては、安藤友紀さんが全訳を行い、立田が全文の推敲を行った。第4章については、元文部科学省大臣官房文教施設企画部施設企画課の中村隆行さんと同文教施設企画部施設企画課防災推進室長の平井明成さんをはじめとする文部科学省のスタッフの意見を参考として現況にあった内容に訂正を行った。また、校正にあたっては訳者二人とともに、国立教育政策研究所生涯学習政策研究部の山本邦子さん、若杉尚子さんにもご協力いただきいろいろなご指摘をいただいた。これらの人々に感謝を捧げるとともに、その努力を通して、本書の翻訳が学校の子どもたちの命を守るきっかけになれば幸いである。
2005年10月
立田慶裕