目次
まえがき
1 「観光社会学」の対象と視点——リフレクシブな「観光社会学」へ
1 はじめに
2 「観光社会学」の対象
3 観光のオーセンティシティをめぐる視点
4 視点の社会的編成——リフレクシブな「観光社会学」へ
2 観光の近代と現代——観光というイデオロギーの生成と変容
1 はじめに
2 観光の欲望の歴史性と汎時性
3 近代と観光の欲望の社会的組織化
4 近代観光の性格と聖なるものの枯渇
5 個人化の進展と観光の変容
6 ポストモダン文化と観光
7 むすびにかえて
3 観光という「イメージの織物」——奈良を事例とした考察
1 はじめに
2 近代ツーリズムのプロトタイプとしての奈良——奈良を事例とする意義
3 観光メディアとイメージの再生産
4 ツーリストによるイメージの読解
5 むすびにかえて——要約と今後の課題
4 日本人の海外旅行パターンの変容——ハワイにおける日本人観光の創造と展開
1 はじめに
2 日本人のハワイ観光創造期
3 ハワイ映画と観光旅行解禁前のハワイ・イメージ
4 海外観光旅行の解禁後のハワイ旅行ブーム
5 観光の大量生産、消費体制の確立
6 大量生産、消費体制の成熟と観光の個人化の始まり
7 観光の多品種、少量生産の時代へ
8 おわりに
5 神戸の観光空間にひそむ「風景の政治学」
1 神戸の観光空間
2 メディアにおける神戸の観光空間の表象
3 観光空間としての神戸の構築
4 ミナト神戸の生成
5 風景の政治学——反転したオリエンタリズム
6 田園観光と「ロマン主義的まなざし」——由布院地区調査から見た観光客と地元業者の「まなざし」
1 はじめに
2 「開発」反対運動とロマン主義的イメージづくり
3 調査から見た由布院
4 地元観光業関係者に対するインタビュー調査
5 おわりに
7 脱近代的なライフスタイルをつくる観光経験
1 はじめに
2 現代におけるライフスタイル
3 観光経験に関する因子構成
4 ライフスタイルに対する観光経験の影響
5 要約と結論
あとがき
前書きなど
まえがき 約二〇年前のことであるが、筆者(須藤)はチベットを旅したことがあった。中国が外国人旅行者を受け入れて間もないころだったので、日本語で書かれた信頼できる中国ガイドブックはほとんどなく、私は中国入国のルートであった香港の書店で簡単な英文のガイドブックを手に入れた。そのガイドブックには、漢民族が住んでいる地域について当時にしては詳しく紹介されていたのだが、外国人があまり行かない(というよりは行くことを禁じられていた)辺境地域についてはほとんど解説されていなかった。そのとき私は陸路でチベットまで行き、そこからバスでネパールに抜ける計画を立てていた。だが、外国人に禁止されていた陸路でのチベット行き、ましてやそこからネパールへ抜ける旅が成功する可能性はあまりないという情報を香港のゲストハウスで聞きつけて、陸路でのネパール行きはほとんどあきらめ、件のガイドブックだけを持って中国に入国してしまった。とりあえず列車で青海省のゴルムドまで行ってみると、なんと何の障害もなくラサまでのバスのチケットが買えてしまったのだ。五〇〇〇メートル近い山をいくつも越え、とんでもなく空気の薄いところで一泊させられ、高山病の高熱と乗り物酔いで朦朧とバスに揺られていると、遠く平原の向こうに金色に光る城のようなものが見えてきた。次第にバスは岩山にへばりつくその建物に近づいていったのであるが、そのときもかなり朦朧としていた私の目には、けばけばしい配色のその建物が非常に恐ろしいもののように見えてきた。バスはその建物の前で停まった。バスから降りて見上げると、その建物はどこかの写真で見たことのあるポタラ宮だった。そのことに気がついてやっとその場所がラサであることを悟ると一転して、その建物もけばけばしく恐ろしいものではなく、逆に絢爛豪華で美しいものに見えてきた。 安ゲストハウスに這うようにしてたどり着き、二、三日は起き上がることができなかったのだが、高山病もやっと快方に向かい外に出ることができるようになった。そして、そこでやっと気づいたのだが、どこを観光したらよいのか私にはまったくわからないのだ。ゲストハウスの掲示板を見ると、観光地の名前とその行き方くらいは書いてあった。でも、その観光地がどのような場所で何があり、行く価値があるのかどうかさっぱりわからないのだ。私はさらに二、三日はポタラ宮(さすがにこれだけは少々知識があった)とゲストハウスのまわりをうろうろするだけで、「観光地」巡りをせずに無為に過ごすしかなかった。せっかく持って行った重たい一眼レフのカメラのレンズをどこに向けたらよいかさえもわからなかった。そうしているうちに、同じゲストハウスに泊まっていたヨーロッパ系の若者が、私を不憫に思ったのか、帰国する前に英語で書かれた美しいカラー写真付きのガイドブックを私に残して行ってくれた。まさになくしていた眼鏡を見つけた気分であった。英文を読むよりも写真を見るだけで行きたい場所がすぐに決まった。 当時、格安航空券に頼りながら物価の安い国々を、バックパックを背負って放浪するというのがある種の若者の流行であった。私もその中の一人で、他人があまり行っていないところを旅行した経験をマイナーな旅行雑誌に載せたりすることで得意がったりしていた。そして、当時のバックパッカーの間ではありがちなことなのだが、そのころ世界中どこにでも繰り出すようになっていた団体観光客を見下していたところがあり、旅行代理店やメディアの情報に頼って行う旅行では「本物」にふれることはできないと思っていた。バックパッカー仲間が集まると、「本物」の旅について語り合った。D・J・ブーアスティンが言うように、英語のtravelの語源には、骨の折れるやっかいな仕事をするという意味があり[Boorstin 1962=1964: 96-97]、苦労や冒険を進んでするような能動的な旅行者こそが「本物」の体験をできると信じていたのかも知れない。 しかし、どんなに苦労をする「トラベラー」であろうとも、旅の情報という眼鏡をかけなければ何も見えないのだ。ガイドブックだけではないが、さまざまなメディアから旅の情報を得ることによってはじめて、私たちは旅の目標を定めることができるし、何よりも旅の経験を分節化することができるのである。たしかに、添乗員付き団体旅行で行くツアーとバックパッカーのツアーでは、参照するメディアが異なるし(『地球の歩き方』や『Lonely Planet』等の編集が一般向けに変質し、現在ではあまり差異はないと思われるが)、メディアからの情報がどのように体験を分節するかに違いはあるだろう。しかし、現代においてはどんな観光でも、観光が「イメージの消費」であることに変わりはなく、そこにメディアが介在することも同様である。あえて言えば、観光とはある種の幻想を体験しに行くことであり、「本物」を見たり、体験したりすることではない(近代以前の観光においても私は同様であると思うのであるが、ここでは話を「現代」に限定しよう)。観光という幻想の体験の仕方(あるいはその演出の仕方)においてはさまざまな形態があり、それらの中で深さや強度の違いがあるだけである。 ガイドブックを手に入れた私は、さっそく朝早くラサ郊外の丘陵に鳥葬を見に行った。チベットの「本物」の生活文化に触れたかった。しかし、鳥葬見物の私たち外国人観光客は葬儀に参列している家族や葬儀屋から歓迎されなかった。我々を見て怒った葬儀屋が我々に向かって石を投げつけてきたのだ。「これは見せ物なんかじゃないぞ」と言いたげだった。我々は岩陰に隠れながら遠巻きに「見学」させてもらったが、こういう「まなざし」は送る方もあまり心地よいものではなかったし、受ける方はなおさらだったろう。『ホストとゲスト』の中でナッシュが言うように[Nash 1989: 37-52]、観光客とローカルとでは、生きる文化の文脈が違うのだ。いわんや葬儀においてをや、である。石を投げつけたのは、葬儀屋がそのことを察知したからだろう。あのとき私は、「本物」を見ているような気がしなかったことを今でも覚えている。 では、現地の住民の経験は「本物」で観光客のそれは「偽物」なのか。この議論に立ち入るのはここでは控えたいと思う。この議論は一般的すぎて、言語とは何か、表象とは何か、メディアとは何か、といった「観光」を超えた哲学的議論が必要になるように思えるからだ。しかし、ホストとゲストの経験に関しても、「本物」の経験があることを前提にしなくても充分議論ができるように思う。私たちがこの本を通してやろうとしていることは、「本物/偽物」の議論をとりあえず棚に上げることである。そのうえで、観光現象、観光経験、観光開発等について、それぞれのリアリティの構造と構成の仕方について、そしてそこで巻き起こる葛藤について考えようと思う。 私たち著者二人はともに旅行が好きである。旅行の体験等を交えつつ、私たちは、観光とは何かについて、飲みながらであるが議論を重ねてきた。そして、本物/偽物議論の地平を超えたところで、現代の観光の本質をとらえることができるのではないか、あるいはそこから現代とは何かの一端が見えてくるのではないかと思うに至った。幸い、社会学は本物/偽物を超えた議論の枠組みを今日に至るまで鍛えてきた。この本は、社会学の枠組みから観光にどこまで迫れるか、またそこからどこまで行けるのか、私たちの冒険の記録のつもりである。私たちは、まだ冒険のほんの入り口にさしかかったところかも知れないのであるが。 この本の構成は、一、二章が理論編であり、三章から先が理論の切れ味を試す章である。須藤が偶数章、遠藤が奇数章を担当した。私たち二人の著者は、本全体のテーマに関しては論理を共有しているつもりである。しかし、個々の事例やフィールドの分析に関しては、当然であるがそれぞれの個性を出そうと考えた。私たちは協力しつつ、これからも社会学で観光にどこまで迫れるかの冒険を続けるつもりである。 調査やフィールドワークに際しては、数多くの方々の御協力をいただいた。ここにあらためて感謝の意を表したい。須藤 廣