目次
はじめに
第1節 本書の目的
第2節 ラーズィーの研究史
第3節 本書の構成
序章 イスラームの思想潮流
第1節 イスラーム神学
1 初期の神学論争
2 ムゥタズィラ学派
第2節 イスラーム哲学と神秘主義
1 哲学
2 神秘主義
第3節 イスラーム思想史におけるラーズィーの位置
第1章 アシュアリーとアシュアリー学派
第1節 アシュアリー
第2節 クッラーブ派
第3節 初期アシュアリー学派の思想家たち
第2章 ガザーリーとラーズィー
第1節 ガザーリーの生涯、研究史、著作
第2節 ラーズィーの生涯と著作
1 生涯
2 著作
第3章 神学から神秘主義への転換——ガザーリーの神名論
第1節 文法家による名詞の定義
第2節 ガザーリー以前のアシュアリー学派
1 神の属性
2 神の名前
第3節 ガザーリー
1 神の名前
2 神との近接
第4章 ラーズィーの神秘思想——神名注釈書の分析
第1節 称名、瞑想、祈願
第2節 ラーズィーにおける神秘主義の影響
1 「神の他にいかなる神もない」の解釈——神秘主義的タウヒード
2 代名詞の解釈
第3節 ラーズィーの神秘主義の特徴
第5章 神学と哲学の世界観
第1節 クルアーンとハディースの世界観
1 天上界と地上界
2 天使
第2節 神学的原子論の世界観
第3節 哲学的流出論の世界観
第4節 天使の様態
第6章 ガザーリーの宇宙論
第1節 神、天使、現象界
第2節 ムルク界とマラクート界
1 ムルク界とマラクート界の対応関係
2 ガザーリーの宇宙論と神秘主義
第3節 マラクート界と霊魂
第7章 ラーズィーの宇宙論における哲学の受容
第1節 ラーズィーの思想における宇宙論
第2節 存在者分類
1 ラーズィーの存在者分類と原子論
2 霊的実体
第3節 世界の階層
第4節 霊的世界の階層
第8章 ラーズィーの宇宙論と神秘主義——ミゥラージュ解釈
第1節 ミゥラージュ
1 ミゥラージュのハディース
2 ミゥラージュの解釈
第2節 ファーティハ(クルアーン開扉章)と同二章二八六節
第3節 霊魂上昇の過程
第4節 礼拝の神秘主義的解釈
終章
第1節 ラーズィーにおける神秘主義の受容
第2節 ラーズィーの宇宙論
第3節 イスラーム思想史におけるラーズィーの宇宙論の位置付け
あとがき
参考文献
索引
前書きなど
第1節 本書の目的 本書は、イスラーム神学諸派の正統的な学派の中でもっとも主流派を形成するアシュアリー学派(al-Ash‘ari-yah)が隆盛を極めた十一世紀から十二世紀におけるイスラーム神学、哲学、神秘主義(スーフィズム)の思想潮流の統合に関する研究である。「文明間の衝突」ばかりが話題になりがちな昨今、古典イスラーム思想家のアブー・ハーミド・アル=ガザーリー(Abu Hamid Muhammad ibn Muhammad ibn Muhammad ibn Ahmad al-Tusi al-Ghazali=一〇五八—一一一一)、ファフルッディーン・アッ=ラーズィー(Fakhr al-Din Abu‘Abd Allah Muhammad ibn ‘Umar al-Razi=一一四九—一二〇九)(以下ファフルッディーン・ラーズィーとする)の知的営為は、異なる思想潮流間の対話、知的吸収の成功例として注目される。民族・宗教紛争の絶えない現代の国際状況を理解し、世界の平和的共存のあり方を考えるとき、十三億人以上もの信徒を持ち、世界中に広がっているイスラームについて、より深いレベルで理解することは不可欠である。そのためには、表面的な理解ではなく、イスラーム思想史の展開にまで踏み込んで、イスラームを知る必要がある。本書は、イスラーム神学が哲学と神秘主義を批判的に受容し、柔軟に変化していった歴史的過程を考察したものであり、これまで一般に知られてこなかったイスラーム思想の新たな側面を開示するだけではなく、「文明の対話」、「異文化理解」といった現代の諸問題にも関心を向けさせることを期待する。 イスラーム神学、哲学、神秘主義は、イスラーム思想史の中で別々に発生し、それぞれの領域に分かれて発展していった。本書では、これらの思想潮流の発生状況とその後の変容、融合を考察し、イスラーム思想史におけるラーズィーの位置を、ガザーリーと比較しながら考察する。その際、特に宇宙論(世界観cosmology)というテーマを取り上げる。ナスル(S.H. Nasr)は、一〇世紀から十一世紀のイフワーン・アッ=サファー(al-Ikhwan al-Safa’——純正同朋会——)、ビールーニー(al-Biruni=一〇五〇後没)、イブン・スィーナー(Ibn Sina=一〇三七没)の自然学、宇宙論を分析し、これらの思想家、さらに他のムスリム思想家にとって、自然を考察することは創造者についての知識を得るための手段であるとする。イスラームの宇宙論は、常に神に関係するものであり、宗教的な世界観であるということができる。 ラーズィーも、この世界からその背後にある神秘的な世界を知ることができるとしている。ラーズィーによれば、心の中で神の名前を称えることは、人間が神の被造物の神秘について考えることである。そしてこの被造物の粒子(dharrah)のそれぞれが、不可視界に面した磨かれた鏡になり、人間が知性の目でそれを見ると、彼の目から霊的な光が出て、そこから崇高な世界(‘alam al-jalal)に至ると言う。このようにラーズィーは、イスラームの宇宙論の基本的な考えに沿っているといえる。 ここでいう宇宙論は、個別的な自然現象を扱う天文学、自然学、地理学などではなく、現象界と霊的世界(不可視界、天使、中間世界)という二つの世界全体についての宗教的かつ包括的な議論、一種の存在論を意味する。二つの世界の全体的な宇宙論は、個別的宇宙論の前提であり、それを補完するものだと考えられる。伝統的な世界観では、世界は天と地に区別され、または現世と来世に区別される。この単純な世界観には、プラトンによって可視界と不可視界の区別がもたらされ、アリストテレスによって生成消滅界と、天球の霊魂によって動かされる天上界の区別がもたらされた。そして新プラトン主義者たちによって、神と霊的な存在から成る世界へと論点が移行した。本書で扱う宇宙論は現象界のみならず、不可視界も含むものである。 本書では、ラーズィーの宇宙論を中心に、ガザーリーと比較しながら、古典イスラーム思想史における思想潮流の融合を考察する。さまざまなテーマの中でも特に宇宙論を取り上げる理由は、ガザーリーとラーズィーの宇宙論は、神学における哲学と神秘主義の受容がみられる分野であり、彼らの思想を理解するために重要だと考えられるからである。二人ともアシュアリー学派神学者であるので、イスラームの伝統的な神学に従い、哲学を批判する。そして、神は神の本質に付随する属性(性質)を持つこと、神は個物を知ることなどを認めており、アシュアリー学派の枠内にいる。しかし宇宙論に関しては、神学的立場を守りつつ、哲学の影響がみられるのである。 哲学といっても論理学、形而上学、自然学などさまざまな分野があるが、ラーズィーは、ガザーリーと同様に、宗教的に中立な分野である論理学を方法論として受け入れた。では、ラーズィーはイスラームの信仰に関わる分野においても哲学者の見解を受け入れたのだろうか。本書では宇宙論における哲学の影響として、哲学的な非物質的実体(純粋実体)が宇宙(世界)の構造に取り入れられているのか、という問題を検討する。なぜなら、哲学の非物質的実体は、神学の原子論とは相容れないものであり、この実体を認めるということは、哲学に大きく傾斜していることを示すことになるからである。さらに、ラーズィーの宇宙論が哲学のみならず、神秘主義と結びついていることを検証し、ガザーリーの宇宙論との相違点についても論じたい。