目次
はじめに 長島一由(逗子市長)
第1章 基調報告——三つの地方自治体から
逗子市の情報公開の現状 森田明(逗子市情報公開審査委員)
三重県の取り組み 小倉康彦(県職員)
北海道ニセコ町の取り組み 片山健也(町総務課参事)
第2章 国の情報公開制度の実情
国の情報公開制度について 三宅弘(弁護士)
公開請求・不服申し立ての経験から 三木由希子(NPO法人「情報公開クリアリングハウス」室長)
第3章 パネルディスカッション
今後のあるべき姿を探る 小倉康彦×片山健也×三宅弘×三木由希子×上野三朗(逗子市情報公開運営審議会会長)×森田明
資料
逗子市 情報不存在等の事例(概要)
逗子市情報公開条例
(逗子市)情報公開制度の充実について(答申)
三重県情報公開条例
ニセコ町情報公開条例
行政機関の保有する情報の公開に関する法律
編著者紹介
前書きなど
はじめに長島一由(逗子市長) 「情報公開」は、日本では1982年に山形県金山町、そして神奈川県が全国に先駆けて、まずは地方からということで情報公開制度をスタートさせました。それからおよそ20年後の2001年になって、ようやく国にも情報公開法が成立しました。 この1980年前後、神奈川県を中心とした各自治体でさまざまな議論が行われ、その際にはアメリカやスウェーデンなど先進諸国をモデルとして参考にしたと聞いております。 アメリカの歴史を紐解いてみますと、1776年に13植民地がイギリスから独立したわけですけれども、その後、それらの地域間で抗争が絶えなかったことから、1787年になって合衆国憲法を制定して、強力な中央政府をつくった。ただし権力が暴走しないように、その歯止めとして立法、司法、行政の三権を分立し、これとあわせて人民主権を確立するために、開かれた政府を裏づけるものとして「知る権利」が派生してきたものと、私自身は認識しております。しかしながら、この権利も実際担保されるようになったのは1966年の情報自由法、いわゆるFOIAの成立を待たなければなりませんでした。 同じく1767年に「フリーダム・オブ・ザ・プレス法」を制定したスウェーデンも、やはり1970年代になって、ようやく「知る権利」が担保されました。 特に私が注目しているのが、1966年の情報自由法と46年の行政手続法との大きな3点の違いです。その1点目が情報公開の請求権者を「何人(なんびと)も」としたこと。2点目が、情報公開の適用除外規定を列挙したこと。そして3点目が救済措置の確立であります。 先ほどお話ししましたように、日本においては80年前後の神奈川県でも、随分この3点を中心に議論がなされたと聞いておりますが、果たして20年以上たった今、この日本で、そして各自治体でこの3点がどこまで担保されているのかが私自身にとって実務的、また学術的な関心でもあります。 この1点目の情報公開請求権者は「何人も」とするのは当然として、進化させるのがやはり難しいのが2点目、3点目の適用除外規定、それから救済措置の確立ではないかと思います。それを考えるに当たって、私自身としては、適用除外規定については非公開とする場合でも、必ず期限を設けて、一定期間経過後は公開する時限公開制度、それから救済措置の確立に関しては、特に迅速性という点から逗子市が今採用している独任制オンブズマン、これらが大変参考になり、また有効に機能させるポイントではないかなと思っております。 逗子市としても、これまで情報公開については大変力を注いできまして、特に近年では99年の日本経済新聞社の全国透明度ランキング256位から、2002年には698の自治体の中で1位になったことについては、情報公開審査委員の先生、あるいは情報公開運営審議会の皆さんのご尽力によるものであり、私自身大変誇りに思っております。 いずれにしましても、情報公開については国を20年以上も自治体がリードしてきたという中にあって、今改めてこの段階において各自治体が切磋琢磨することで、これからも情報公開について地方が国をリードし、さらに情報共有、市民参加などの側面においても国をリードして、この国を地方から変えていけるものと確信しております。