目次
序文
第1章 現代テロリストの誕生
テロリストの生い立ち/イスラームのビジョン/ジハードとサウジアラビアの建国/アフガニスタンのジハード——聖戦士の誕生/サウジ・エリートの過激主義/スーダンと実業家ムジャーヒド/ターリバーンとイブン・ラーディン/アイマン・ザワーヒリー——医学部からジハードの大学へ/アフガニスタンと聖戦宣言
第2章 ジハードとはなにか
多様なジハード/ムハンマドのジハード/ヒジュラとジハード——迫害と衝突/防衛と拡大のためのジハード/初期の分派主義とテロリズム/スンナ派とシーア派のジハード/世界的ウンマの確立とジハード/革命的ジハード——神の名におけるテロ/イデオローグと革命的ジハード/イブン・タイミーヤ/一八世紀のジハード/イスラーム革命の先駆者たち/ハサン・アル・バンナーとマウラーナ・マウドゥーディー/サイイド・クトゥブ——イスラーム過激主義の父/神の軍隊——戦闘的ジハードの復讐/戦争とジハード/改宗のためのジハード/ジハードと殉教——究極の信仰告白
第3章 神の軍隊
カーバ聖殿占領/十字軍から西洋帝国主義へ/近代化とイスラーム改革運動/イスラームと近代国家/未来への回帰——イスラーム復活/神の軍隊の誕生/エジプトと神のための怒り/篤信家大統領とジハード/ジハード団/二つの革命——主流派と戦闘的ジハード/原理主義と国家/パレスティナのジハード—ハマース/構成員と活動/民族主義者の抵抗運動か、テロ組織か?/アルジェリア——軍部対神の軍隊/ワッハーブ派の脅威/パキスタンのマドラサ/ロシアと中央アジア/世界規模のジハード
第4章 私たちはどこへ向かうのか?
イスラーム世界を理解するために/近代科学の生みの親/宗教、近代化、そして発展/文明の衝突は避けられないのか?/イスラームの女性問題/改革と対話を求めて/アンワル・イブラヒム——世界的な共生/ムハンマド・ハータミー——文明の対話/アブドゥルラフマン・ワヒド——コスモポリタン・イスラーム/イスラームと民主主義/民主主義者と反対論者/草の根の民主化運動/イスラーム的民主主義は脅威か?/グローバル・テロリズムとイスラーム/テロリズムへの対応とアメリカの外交政策/ジハードのグローバリゼーション
原註
監訳者あとがき
索引
前書きなど
イスラームの名にかけたテロ 二〇〇一年九月一一日の惨事は、悲嘆と決意のうちでアメリカ人をひとつの国民としてまとめることになった。同時に、さまざまな階層のアメリカ人は、アメリカについて、世界的テロリズムについて、ムスリム世界について、難しい疑問を抱きはじめた。一〇年以上前、ソビエト連邦の崩壊と、一九九一年の湾岸戦争時のサッダーム・フサインの対西洋ジハードへ呼びかけの後を追うように、私は『イスラームの脅威——神話か現実か?』を著し、新しい「悪の帝国」を共産主義の脅威に代わるものとみなそうとする政府高官や政治解説者、メディアに応答した。 悲しいことに、一〇年以上過ぎてもイスラームとムスリム世界に対する同様の疑問はいまだに問われている。なぜ、彼らはわれわれを憎むのか? なぜイスラームは他の宗教よりも戦闘的なのか。クルアーンはジハードあるいは聖戦について、なにを語るべきなのか。クルアーンはこの種の暴力やテロリズムを容赦するのか。西洋とイスラーム社会には文明の衝突があるのか。しかし、今はこれまで以上に、私たちがイスラームとテロリズムの源について学ぶことが重要となっている。 テロリストの首謀者ウサーマ・イブン・ラーディンは、他の宗教的過激派と同様に、人生において彼が受けた教育と経験と、彼が受け継いで自らの目的のために作りなおした宗教世界の産物である。あらゆる世界宗教の歴史にもみられるように、暴力的闘争はムスリムの歴史の一部であった。イブン・ラーディンや他のテロリストたちは、ムスリム政府と西洋に対するジハードへの彼らの呼びかけを正当化し鼓舞するために宗教的原理や先例を、急進的解釈者を求めて過去の権威(ムハンマド、クルアーン、イスラームの歴史)を活用した。彼らは戦闘やテロリズムを正当化し、自爆行為を殉教と同等のものとみなした。彼らの信仰、価値観、手段、行動などのための宗教的および歴史的出典の理解は、彼らの規範となった。彼らは自らの穢れた目的のためにイスラームをハイジャックしたのか、それとも、彼らが主張しているように、彼らは信仰の正統な教えに復帰することを表明しているのだろうか。 ある意味では、イブン・ラーディンおよびアル・カーイダは、現代のイスラーム急進主義の分水嶺となった。これまでも、アーヤトッラー・ホメイニーや他の中心的なイスラーム運動指導者が、暴力的であれ非暴力的であれ、より広範なイスラーム革命を呼びかけてきたが、北アフリカから東南アジアにわたっておこなわれた最も過激な運動の標的も影響も、一地方あるいは地域レベルのものにすぎなかった。ウサーマ・イブン・ラーディンとアル・カーイダは、その次の重要な一歩、国際的なジハードを象徴している。それはイスラーム世界の政府に対するジハードを宣言し、その地域の西洋の代表者たちや機関を攻撃するだけではなく、いまやアメリカと西洋をテロリズムという穢れた聖戦の主要な標的とみなしている。 二〇世紀のアメリカの戦争は、他国の土地で戦われた。いまや、戦いは私たち自身の土地のうえで、私たちの経済的・政治的な力の象徴のうえにもたらされたのである。杭はすべての人々に振り上げられた。九月一一日のアメリカに対する攻撃は、まさに、私たちの危険を認め、すべての、あらゆる国々、文化、そして世界の人々を脅かす敵に対応するための警鐘とみなされている。 二一世紀は、ふたつの主要なかつ急激に増大しつつある世界宗教、キリスト教とイスラームの世界的な対峙と、西洋とそれ以外の地域との間の関係を緊張させるグローバリゼーションの威圧によって支配されるであろう。いまは、文明の衝突を引き起こしたり、そのような衝突は不可避であるという予言を実現させたりするときではない。むしろ、いまは共存と協力を活発に促進させるための、世界的な取り組みや提携を確立するときである。いかなる犠牲を払ってでも、テロリズムに対する世界的な闘争に打ち勝つという圧力の渦中で、私たちがイスラームとムスリム世界をどのように理解するかということは、私たちがどのようにテロリズムや反アメリカ主義の原因を扱うか、そして、私たちが国内外でアメリカ的価値観を保持するか否かということに影響を及ぼすのである。私たちは、政治的話術や、白と黒の世界観、つまりイブン・ラーディンや彼のような者たちだけでなく彼らの敵対者たちによっても引き起こされるような、純粋な善と悪が対峙する世界観を越えられるようにならなければならない。 私は本書を、西洋の大多数の人々、ムスリムと同様に非ムスリムの人々のために著した。二一世紀には彼らの生活と共同体は複雑に絡み合っているからである。イスラーム世界は、もはや「向こう側」にはない。ムスリムは私たちの隣人であり、同僚であり、仲間の市民である。また、彼らの宗教もユダヤ教やキリスト教と同様にテロリズムを拒否している。「理解の橋を架ける」というような心地よい言葉は、たんに軍事力だけでは最終的に勝つことのできない戦争においては、かつてないほど批判にさらされている。ムスリムと非ムスリムが一致協力して理解しあい、行動することも同様である。私たちすべての者は、ステレオタイプや、歴史的悲嘆、宗教的差異を乗り越えて、利害関係だけでなく私たちに共有される価値を認識し、私たちの共通の未来を築くために共に働くことを迫られている。(後略)