目次
1 日本列島の原始社会と朝鮮半島
第1章 日本列島の住民
(1)南方的要素と北方的要素 (2)縄文人と弥生人 (3)朝鮮半島の稲作遺跡 (4)渡来の波
第2章 金印の世界
(1)楽浪・帯方郡と東夷諸族 (2)倭の奴国王 (3)親魏倭王 (4)九州か畿内か
2 倭の王権と朝鮮三国——虚像と実像
第3章 謎の四世紀と七支刀銘文
(1)空白の期間 (2)百済献上説 (3)百済下賜説および東晋下賜説 (4)百済=倭対等説
第4章 広開土王碑文の研究
(1)「渡海」の主語 (2)参謀本部 (3)原石拓本の探求 (4)前置き文
第5章 「任那日本府」の問題
(1)倭の五王 (2)「己巳年の史実」 (3)大加耶連盟の動き (4)「日本府の滅亡」
3 日本の成立と新羅・渤海——理念と現実
第6章 飛鳥仏教の背景
(1)仏教の公伝 (2)法興寺の建立 (3)遣隋使の派遣 (4)二つの弥勒菩薩像
第7章 大化の改新と白村江の戦い
(1)唐の建国と東アジア (2)改新政府の外交政策 (3)統一新羅と渤海 (4)「倭」から「日本」へ
第8章 東夷の小帝国
(1)「天皇」という称号 (2)『日本書紀』 (3)「隣国」唐との関係 (4)「蕃国」新羅・渤海との関係
4 平安・鎌倉時代の日本と高麗——自尊と憧憬
第9章 東アジア世界の変貌
(1)北方民族の台頭と高麗王朝 (2)内向する意識 (3)東アジア交易圏 (4)海外への憧れ
第10章 モンゴルの襲来
(1)高麗の抵抗 (2)三別抄の反乱 (3)アジア各地の反元闘争 (4)「神風」
5 室町時代・織豊政権期の日本と朝鮮——敵対と融和
第11章 日本国王と朝鮮国王
(1)明の建国と中華世界の再建 (2)「日本国王」 (3)「書き様以ての外なり」 (4)幕府外交と朝廷外交
第12章 倭寇対策と多元的な通交体制
(1)倭寇の実像 (2)応永の外寇 (3)通交者の統制 (4)偽使と「朝鮮大国観」
第13章 豊臣秀吉の朝鮮侵略
(1)戦国大名 (2)神国思想 (3)義兵と水軍 (4)和平工作と第二次出兵
6 江戸時代の日本と朝鮮——蔑視と交隣
第14章 書き替えられた国書
(1)国交の回復 (2)家康の国書 (3)改竄の発覚 (4)「通信の国」
第15章 朝鮮通信使
(1)盛大な饗応 (2)「御礼」「入貢」 (3)「国王」か「大君」か (4)新井白石の改革
第16章 征韓思想の源流
(1)「君に非ず臣に非ず」 (2)自尊意識の特徴 (3)皇国意識の昂進 (4)吉田松陰の征韓論
7 近代日本の朝鮮侵略
第17章 明治維新と征韓論争
(1)書契問題 (2)朝廷直交論 (3)平和遣使か武力征韓か (4)「名分条理」 (5)江華島事件
第18章 日清戦争と朝鮮
(1)日本と清国の対立 (2)壬午軍乱と甲申政変 (3)内政干渉と軍備拡張 (4)開戦への道 (5)「文明と野蛮の戦争」
第19章 日露戦争と韓国併合
(1)大韓帝国 (2)日露戦争の性格 (3)保護条約の強制 (4)反日義兵「戦争」 (5)韓国の「廃滅」
第20章 植民地支配
(1)「武断政治」から「文化政治」へ (2)同化主義と日鮮同祖論 (3)「皇国臣民化」政策 (4)戦争への動員 (5)解放と分断
参考文献
あとがき
年 表
索 引
前書きなど
ところで、日本における朝鮮認識は、本書でふれたとおり、古代以来の蕃国観に彩られてきました。そのうえさらに、近代にいたっては、朝鮮の歴史を自主性がなく他律的であり、発展性がなく停滞的であることを強調する見方が研究を規定するようになりました。「だから日本が近代化をすすめてやるのだ」として、意図的ないし無意識的に植民地支配を正当化する議論として機能したのです。その反省にたって、対象を内在的かつ発展的に理解しようとした第二次大戦後の研究は、朝鮮の歴史展開の豊かで多彩な姿を明らかにしてきたといえます。ただ、そこでは、近代になって構想された民族や国家の枠組みが「内在」すべき自明の単位として過去に投影され、西欧的な近代社会を到達点とする「発展」の理論が暗黙の前提とされるなど、さまざまな限界が指摘されていることも事実です。 「東アジア世界」や「東アジア文明」に着目することは、そうした研究を再検討し、限界をこえるための方法を模索する試みのひとつといえます。また、悠久不変の「日本」や「日本文化」を周辺の世界から孤立的にとらえ、その歴史の固有性や優越性をことさらに強調するとともに、明治以降の歩みをもっぱら近代化の成功物語と描いて矛盾に目をつむる。そのような議論が、国民に自信を与える新しい史観だなどと称して喧伝される状況においては、「東アジア」の視点を探究する意義はいっそう大きなものがあるといえるでしょう。方法論的な追究はもとより、社会・経済・文化など具体的で多様な側面からのアプローチが求められるところです。とはいえ、「東アジア史」の語をタイトルに冠しながら、本書が触れえたのは「日本」と「朝鮮」の国家的な関係にすぎず、その理解にとって東アジアの国際秩序の動向を視野にいれておくことが必要だとのべたにとどまっています。 前近代の東アジアの国際秩序は、中国皇帝を中心とし、周辺諸国の首長がこれに朝貢して爵位を授かるという「朝貢関係」「冊封関係」を基軸に形作られました。いまいちど、本書の構成を中国王朝の区分で示しておけば、1「日本列島の原始社会と朝鮮半島」は春秋戦国時代ののち秦漢から三国時代をへて西晋にいたる時期、2「倭の王権と朝鮮三国」が南北朝時代、3「日本の成立と新羅・渤海」が隋唐の時代、4「平安・鎌倉時代の日本と高麗」が宋(遼・金)元の時代、5「室町時代・織豊政権期の日本と朝鮮」が明代、6「江戸時代の日本と朝鮮」が清代、7「近代日本の朝鮮侵略」がアヘン戦争以降の近代に相当し、東アジア世界の動向もだいたい、こうした区分でおさえられるものと思います。 日本列島や朝鮮半島に生起した国家はこの国際秩序に参加して中国王朝と関係を結ぶとともに、それに規定されつつ相互の交渉を展開しました。朝貢・冊封体制は支配・従属の形式の関係であると同時に、一面において平和と安定のシステムとして機能するものでありました。ただ、この体制の中において周辺諸国はそれぞれに自らを中心にすえた世界秩序の構想を生み出してもおり、日本の場合、早期に『日本書紀』などに定式化された日本中心の理念が、その後の歴史過程において執拗に保持されつづけたところに特徴があるといえます。そして、それが朝鮮に対する蔑視意識と密接に結びついていました。 それぞれの副題に、2「虚像と実像」、3「理念と現実」、4「自閉と憧憬」、5「敵対と融和」、6「蔑視と交隣」等々と示したとおり、日本における朝鮮問題は相反する二つのベクトルに規定されているかのごとくです。このどちらに力点をおいてとらえるかによって、敵対と蔑視か善隣と友好かという具合に、日朝関係のイメージはおおきく変わってみえることになりますが、朝廷と幕府、天皇と将軍といった王権の二重性と密接にかかわらせて、日本中心主義の論理および東アジア世界の秩序原理がどのように関連しあっていたのかを明らかにすることが、全体像を把握するために大切なことだと思われます。近代においては、東アジアの国際秩序は新たな世界システムに包摂されて解体を余儀なくされますが、その過程でとった日本の振る舞いを理解するためにも、前近代の歴史展開を視野にいれておくことが必要といえるでしょう。(「あとがき」より抜粋)