目次
第一章 文化的多様性を理解する
アメリカの教育における文化的多様性の現状
文化とは何か?
競合するモデルとアプローチ
統一と多様性—本質的な緊張関係
歴史的視座から見るアメリカの経験
競合する視座
多文化主義擁護の主張
多文化主義とTQE
第二章 偏見と差別を認識し正面から立ち向かう
偏見と差別を理解する
偏見の本質
差別の本質
偏見と差別の相互関係
人種主義、性別主義、年齢主義、その他
差別と権力を検証する
差別をなくす—いくつかの活動とアプローチ
第三章 生徒の教育機会を制限する構造的な障壁を取り除く
間接的差別
教育機会に対する基本的な障壁を取り除く
学力別グループ分け
生徒指導
学校施設—魅力的なものか、それとも刑務所のようなものか
試験に関する諸問題
カリキュラム
教えるという実践
教師、生徒、家族の限定された役割
第四章 教職員の力量向上とカリキュラム開発の促進
学校における多様性
学校管理職—プラクシス(実践)の役割モデル
文化に適切に対応した教授方法
多様性を高める—各種職員の役割
カリキュラムに注目する
多文化的な視座からの教授
多様性の問題について知識を増やす
第五章 学校と地域と家族の連携の強化
アメリカの変化する生徒構成
エスニック・人種・文化的な要素
新しい家族概念の形成—「村は子どもを育てる」(アフリカのことわざ)
家族の関わりについての新たなパラダイムの創造
家族の関わりのさまざまな類型
地域や構成員を大切にする共同体としての学校
第六章 多文化的なエートスを支えること
ものの見方を改めること
メンタル・モデルに挑戦すること
創造的な力を秘めた緊張
自律的、自己更新的、自己超越的な学校
第七章 TQEリーダーシップ 変化するパラダイムに対応するための新しいスキル
模範となる行動をとること
協働的な学校文化を育むこと
ヴィジョンを抱くこと
個別のサポートを提供すること
知的な刺激を与えること
高い達成期待をもつこと
文化的多様性—キャンディ瓶の中のハラペーニョ
前書きなど
多文化教育や人権教育のあり方について、とくに近年さまざまなふりかえりや議論が行われてきました。これは、多文化共生、反差別、人権といったテーマが、日本社会においてますます重要性を高める一方で、それに対応する教育論が十分に確立されていなかったために、教育実践の現場において、さまざまなとまどいが生じてきたからです。とくに、当為の学とされる教育学に、多文化共生、反差別、人権といった「正義の理念」が結びつくと、場合によってはとても「反民主的」で特定の価値観やものの見方を押しつけるようなやり方に流れる可能性があることを、心に刻んでおく必要があるでしょう。 「教え込みではなく、これからは参加・体験型が有効だ」と、ゲーム的な手法を含むさまざまな「参加・体験学習」のやり方が、一九九〇年代の半ばごろから注目され、学校教育や社会教育の現場に広がりました。それらは効果的な学びを活性化させる着想や方法論を備えていたものの、他方では表層的な実践にとどまってしまうことも多かったように思われます。従来の多文化教育や人権教育におけるある種の行き詰まり状況に対して、「ほんものの学びはどのようにして起こるのか」「真正な学びの論理にもとづいた多文化・人権教育とは何か」という問題を十分体系的に掘り下げることなく、ただ外来の新しい教材や方法論を採用すれば解決可能であるかのような幻想が、どこかにあったからだと思います。 多文化教育や人権教育において、「多文化の知」や「人権の知」を掘り下げてとらえ直す必要があったのではないか、という以上の総括に加えて、もう一つ重要な課題は、多文化教育や人権教育をどのように組織的に展開するかということです。そこで注目したいのが「多文化教育学校をつくる」「人権教育学校をつくる」という発想です。教師が一人の人間として、さまざまな課題や背景をもった児童・生徒あるいは保護者などとの関わりを通じて、多文化共生や反差別の理念・生き方を育んでいくというストーリーは、多文化教育や同和教育などの実践において、数多く語られ、蓄積されてきました。それらが、「現実から学ぶ教育」をつくりあげるうえで、きわめて重要な意味をもち、日本の人権教育の土台を築くとともに、その裾野を広げる役割を果たしてきたことは言うまでもありません。 しかし、そこにしばしば欠落していたのが、学校づくりや地域づくりという観点でした。教育実践を通じた多様な気づきや経験を個人レベルのストーリーにとどめるのではなく、どのように組織的に蓄積し、まとまりをもった教育環境づくりに反映していくのかという視点や戦略が、これまでどうも弱かったように思うのです。(後略)訳者序文