目次
まえがき——善隣と友好の歴史をとらえなおす
01 園城寺(三井寺)と大友氏
02 新羅善神堂
03 大津京と百済渡来人
04 唐崎神社
05 滋賀郡居住の百済系渡来氏族とその遺跡(1)
06 滋賀郡居住の百済系渡来氏族とその遺跡(2)
07 滋賀郡居住の百済系渡来氏族とその遺跡(3)
08 滋賀郡居住の百済系渡来氏族とその遺跡(4)
09 石山寺と良弁
10 瀬田唐橋
11 日吉大社・日吉古墳群
12 西教寺
13 最澄(伝教大師)と延暦寺
14 穴太積み
15 大通寺古墳群
16 野添古墳群
17 芦浦観音寺
18 天之日矛と安羅神社
19 大市神社・小市神社
20 高野神社
21 手原廃寺
22 岩畑遺跡
23 金勝寺・狛坂磨崖仏・高麗寺
24 新開古墳
25 東門院(守山寺)
26 苗村神社
27 鏡神社・須恵村・鏡山古窯群
28 公礼八幡神社(呉神社、くれのみや)
29 石塔寺と百済系渡来人
30 鬼室神社と鬼室集斯の墓碑
31 田村神社・永雲寺・櫟野寺・大瀧神社
32 百済寺と渡来人僧
33 行基と金剛輪寺
34 依知秦氏と愛知郡(1)
35 依知秦氏と愛知郡(2)
36 阿自岐神社
37 日撫神社
38 雨森芳洲庵
39 朝鮮通信使と「朝鮮人街道」
40 鶏足寺(与志漏神社、己高閣)
41 鉛練比古神社と日槍塚
42 新羅崎神社跡
43 余呉天女伝説
44 日置神社
45 酒波寺
46 白鬚神社
47 鴨稲荷山古墳
参考文献
近江渡来人人名一覧
遺跡分布地図
あとがき
前書きなど
朝鮮半島と日本列島との関係は、地理的に近いということもあって、歴史的に大変深く強いものがある。 しかし、どちらかというと、互いに相争ってきた長い歴史的関係であったかのような認識傾向がなお強い。つまり、昔から「反朝」「嫌韓」の対語のように「反日」があって、それが相互間に何回も繰り返されてきた、というような認識である。 文献で確認できる約二千年間の朝・日関係を振り返ってみると、相互間の不幸な関わりは百年前後に過ぎない。「元寇」(「文永・弘安の役」)「倭寇」「壬辰・丁酉戦争」(「文禄・慶長の役」)、1905年以降の植民地の時期等がそうであった。 それに比して、平和的な相互住来の関係は、弥生時代から平安時代初まで、11世紀初から13世紀初まで、そして、室町時代及び徳川時代の朝鮮通信使など、千数百年間継続してきた。 このような関係を、平和的・友好的・善隣的関係と一般に言う。 おおよそ、国交関係は、当事国が「国益」を念頭に置き、対象国との間合いをはかりながら進めるのが基準である。つまり、侵略、戦争、支配・被支配といった相互関係よりも、原理的に友好、平和、善隣こそが相互間の「国益」にかない、多少の相違点などはその前では二次的なものであると認識する時、事はそのように運ばれるのである。 現在でもその基本は同様である。様々な問題でやや、あるいは相当緊張したりする場面があるにしても、それによって双方が直ちに一触即発状況に陥らないために、「何が国益か」についての意見の差を抱えながらも、多様な形での接触・交渉に積極的な努力を傾け、平和的な関係を結び保つことこそが最も「国益」にかなう、という外交的あり方を進展させるべきであろう。 そのためにも、朝・日間の不幸な関係は言うまでもなく、それよりもはるかに長期間続いた平和的、友好的善隣関係をとらえなおすことによって、それらを、現在から未来への教訓としながら、国際化時代、多文化共生社会への理性的展望を通観した開かれた社会の構築に目を向けてゆくべきよすがとしたい。まえがき 朴鐘鳴