目次
東京・埼玉幼女連続誘拐殺人事件
足利事件
女子高生校門圧死事件
信楽高原鐡道で衝突事故
市川市の一家四人惨殺事件
世界を震撼させたオウム犯罪
神戸須磨児童連続殺傷事件
北海道旧土人保護法
和歌山毒物カレー事件
東京と下関で通り魔事件
新潟少女監禁事件
旧石器発掘捏造事件
世田谷一家殺害事件
大阪池田小児童殺傷事件
明石花火大会歩道橋事故
歌舞伎町雑居ビル火災
奈良市の女児誘拐殺人事件
JR福知山線尼崎で事故
姉歯建築士が耐震強度偽装
長崎市長射殺事件
婚活詐欺殺人事件
東日本大震災と原発事故
砂川市一家5人死傷事故
相模原障害者施設殺傷事件
優生保護法と不妊手術
あとがき
平成重大事件年表
前書きなど
あとがき
歴史を断面的に見る時、年号で区切る方法が採られる場合が多い。平成が、平成三一年四月末日で終わり、翌五月一日から新しい年号に変わる、それが一年も前から知らされていたので、拙著『平成の事件簿 現場検証』は早くから着手できた。
実は筆者は長く新聞社に勤務し、退職後は、日本史における犯罪現場の検証を続けてきた。これまで出版したのは幕末維新期の事件を取り上げた『日本史の現場検証』(扶桑社、一九九八年)をはじめ、『日本史の現場検証 明治・大正編』(同、一九九九年)、『現場検証 昭和戦前の事件簿』(幻冬舎、二〇〇四年)、『激動昭和史 現場検証 戦後事件ファイル22』(新風舎、二〇〇五年)、『昭和史の闇〈1960-80年代〉現場検証 戦後事件ファイル22』(同、二〇〇六年)の五冊である。
幕末維新編は「桜田門外の変」から「大久保利通の暗殺」まで。明治・大正編は「最後の仇討ち」から大正期の「大杉栄の死、甘粕事件」まで。以下、昭和期は戦前編と戦後編に分け、ことに戦後編は、東京オリンピックを境に二冊に分けて構成した。どの本も一冊に二二件ずつ収めた。
出版社が途中で三度も変わったのは、書籍の市場が急速に狭まり、出版社側が身を引いたり、出版社自体が倒産するなどの事態に陥ったことによる。
そんな状況なのに今回は、札幌の柏艪舎が出版を引き受けてくださった。前述の通り、「平成の事件簿」は、いずれ出さねばならない作品と思い、平成二〇年を経た段階で取り上げる対象を絞り込み、取材できるものは取材してきた。
それ以降は現在進行形のようにして取材に臨んだ。著者はいま八五歳。平成天皇が亡くなるまでは、などとつまらぬことを考えたりしたものだが、天皇のお言葉で平成の終わりが定められたお陰で、見通しもつき、筆にも速力がついた。いますべてを書き終え、万感の思いで筆を置く次第である。
最後に、老生の小言と思って聞いてほしいことがある。
自民党と公明党が政権を奪い返したのは平成二四年(二〇一二)一二月。自民党総裁の安倍晋三が内閣総理の座に就き、第二次安倍政権が誕生すると、「積極的平和外交」を打ち出し、世界各国を訪問して、国家間の良好な関係づくりに尽くした。だが北朝鮮、韓国、中国、ロシアの身近な四カ国との外交は、かならずしもうまくいったとはいえない。
内政でもっとも問題なのは平成二五年(二〇一三)一二月六日、特定秘密保護法案を臨時国会に提出し、自民、公明両党による強行採決で可決したことだ。その一方で前民主党政権時に民主、自民、公明の三党で合意した消費税三%引き上げを平成二六年四月に行い、経済政策のアベノミクスに陰りが見えだすと、約束していた消費税一〇%への引き上げを先延ばしし、「民意を質す」として国会を解散、暮れの一二月一四日に総選挙に打って出た。
「憲法を踏みにじる暴挙だ」と国内世論が沸騰する中、閣議決定されたもので、安倍政権の暴挙といわれたが、この選挙期間中の一二月一〇日に特定秘密保護法は施行された。
選挙に圧勝した自民党は、第三次安倍政権を発足させると、民意を得たとして攻勢に出た。〝地球儀外交〟を活発化させながら、秘密保護法に基づく法令の準備と集団的自衛権の憲法解釈の変更を徹底させるべく、内閣府を強化した。
事件でも事故でもない特定秘密保護法と集団的自衛権だが、あるいはこれが平成以後の「最大の事件」に変貌する恐れがある。戦時中、戦地へ赴く若者たちに、日の丸の旗を振り、万歳、万歳と叫んだあの少年の日を、著者は、うち震えつつ思い出す。
後世、あの時に決めたあの二法律が、この国を滅ぼす原因になった、と言われないためにも、ひと言、書き留めておく。
最後に、取材に応じてくださった全国各地の方々に、深く感謝申し上げたい。ことに東京周辺の取材に同行してくれた東京在住の盟友、下山光雄さん、関西方面の取材に協力してくれた安立富美子さんに敬意と感謝を捧げたい。
そして、肝心の出版を引き受けてくださった柏艪舎の山本光伸代表、こまごまとした点まで示唆してくださった編集担当の可知佳恵さん、山本哲平さんに、改めて厚くお礼を申し上げたい。
平成の年号が過ぎ行く日に
筆者