目次
prologue そうだ、話をしてみよう 中沢けい
Ⅰ アジアとつながる意志 ×中島京子
アジアの作家とアイオワで
日中韓、バックボーンの時差
近くて近い国、韓国
劣化するメディアの裏で
読むことと継ぐこと
日常と非日常の同居
見えないのか、切り捨てか
『アリとキリギリス』の結末
緩みと遊びのある社会
Ⅱ シニシズムを放棄する ×平野啓一郎
アンバランスなメディア
原理からディテールへ
自由意思の捉え方
現実をスケッチする技術
妥協という政治の芸術
意見を変える横顔性
レイシストの追及法
警察権と軍事権に線引きを
シニシズムからリアリズムへ
Ⅲ 声を出す、自分がある ×星野智幸
ダンシングスターの国へ
日本の反動はいつ始まったのか
自分のことさえ忘れる国
情緒の分水嶺の向こう側
同調圧力の風景から
対抗言論の成熟度
捨てられる民主主義
Ⅳ 民主主義の彩り方 ×中野晃一
「その罪を償わせる」の無謀
保守から寄生へのシフト
米国の右派とのつながり
自民党内に異論が出ないわけ
政権党交代後の利権回帰
民主党のコミュニケーション力
小選挙区制をめぐる日本事情
世襲が当たり前でよいのか
幻影に寄せられる信頼
Ⅴ ヘイトの源流を辿って ×明戸隆浩
ヘイトスピーチデモを振り返って
従来の差別とのちがい
ボトムアップのネトウヨ政治
ヘイトスピーチと政治的主張
「在日特権」という暴論
歴史性なきモラルの危うさ
現場に立つ社会学者たち
転落不安を超えられるか
Ⅵ 日韓で補い合う経済 ×向山英彦
経済への影響判断の難しさ
「韓国企業に学ぼう」の後で
ドイツ車からみる韓国経済
日韓関係は競争だけではない
日本の経済的プレゼンスの低下
不合理な悪感情の浸透
生活の知恵の力強さ
Ⅶ 誰のための裁判か ×上瀧浩子
市民運動とカウンター活動
朝鮮学校襲撃事件
ヘイト規制と表現の自由
女性差別としての「慰安婦」問題
権利を守ることの公益性
反ヘイトスピーチ裁判
Ⅷ 親鸞から考える ×泥憲和
海千山千の世界から
なぜカウンターになったのか
複数の線から物事を計る
世界征服思想としての「八紘一宇」
人権の削減される国から
軍機保護法以下の秘密保護法
闘争本能と共感能力の狭間で
深淵を覗く胆力なき時代
旗幟を鮮明にした親鸞
法蔵菩薩の冒険譚のスピリッツ
epilogue ここから始まり 中沢けい