目次
お読みになるまえにー母語再訪への誘い
凡例
序章 母語についての共通理解を検討する―民族主義から切り離して日本語をとらえる
【ひとつのことを突き詰めて考えようとする場合には、現在、その事柄がどのように認識されているかを把握しておかなければならない。
この章では、二十世紀なかばから二十一世紀初頭まで続いた、いわゆる日本語ブームを支えた民族主義的日本語論を取り上げて、それが日本語についての社会的認識を大きく歪めてしまったことを指摘する。また、日本語研究は、日本語社会における情報伝達のツールとしてどのような要因がどのような機能を担って効率的に運用されているかを解明すべきことを提唱する。】
日本語ブームの嵐が去ったあとで
母語
民族の固有性(identity)を再確認する動き
『万葉集の謎』―日本語ブームの始まり
金田一春彦『日本語』
日本語の源流を求めて―大野晋の試み
研究者のクセを見抜く
日本語ブームの終焉
国語は日本語と同義ではない
すべての言語が同じようにすばらしい
日本語の日本語らしさ
動態としての日本語
国語学と日本語学
日本語特有の体系運用の仕組み
翻訳不能な国語学の用語
日本語社会における伝達のツールとしての日本語
Ⅰ章 ニホンとニッポン
【伝統的国語学は、近世国学を継承して日本語の独自性を強調し、近代の言語学に背を向けてきた。また、文法以外の領域を傍系の特殊な研究と見なしてきたために、言語研究の体をなしていない。この章では、主として音声学や音韻論の基礎的知識の重要さを認識するために、日常の身近な事例を取り上げて解説する。】
ニホンとニッポン
キリシタン文献のNIFONとNIPPON
IESVSとIEVS
『平家の物語』と『エソポの寓話集』との関係
中国語の音節構造
聞こえない[ッ]・聞こえる[ッ]
分節、〈モーラ(mora)〉、または〈拍(はく)〉
和語の語音配列則
長母音と短母音との中和
言語の運用規則
言語音の習得1 音声器官からのアプローチ
言語音の習得2 聴覚からのアプローチ
言語音の習得3 どちらのアプローチが現実的か
音韻体系は、有限の数の音を適切に配置して構築される
言語音の分類基準
Ⅱ章 原日本語の姿をさぐる―ラ行音の諸問題
【大陸や南島などから日本列島に渡って来たさまざまの言語を話す人たちが、意思疎通のために形成した独自の言語が原日本語であると考える立場から、和語がラ行音節を語頭にもたなかったのは、CV音節の言語を効率的に運用するための集団的選択であったという解釈を提示する。】
原日本語の姿をイメージする
単音節名詞
単音節語は使用頻度の高いものに集中している
和語の単音節名詞にラ行音節の語が欠落している理由
クセモノの[r]音群
特殊な民族、特殊な言語
カタカナ音声学で言語運用のメカニズムは理解できない
語頭ラ行音節の脱落?
ラ行音節は文中にどのように分布し、どのような機能を担っていたか
口頭でやりとりされるのが言語である
ラ行音節の分布が担う聞き取りの効率化
日本語のR
Ⅲ章 濁音の諸相―二項対立が担う役割
【音韻体系に清音と濁音との二項対立をもつ言語は世界のなかで日本語しか知られていないようであるが、その事実の存在が明示的には指摘されていない。日本語話者にとってはあまりにも当然のことで不思議に思わないし、それ以外の言語の話者が、日本語にそれがあることに気づかないのも当然であった。この章では、その二項対立が日本語を運用するうえでどれほど大切な役割を果たしているかを例証する。
二項対立のありかたを一言で要約するなら、清音は無標(unmarked)で、濁音は有標(marked)という関係にあるが、その顕現は多様である。カラスの鳴き声がカアカアと聞こえるのは、快く感じるからではなく、うるさい度合いが我慢できる限界内にあるからである。その限界を越えるとガアガアの域になる。どちらに聞き取るかは、聞く側の心理状態しだいなので境界値は流動的である。】
上代日本語の濁音
清音とは? 濁音とは? そして清濁とは?
中国音韻学の用語から漢字としてのふつうの意味を借用した二項対立のセット
多音節化の回避
日本語から日本民族を切り離して観察する
《連濁》という現象
ライマンの法則
体系的変化か個別的変化か
イバラ、ウバラの鋭い棘
語頭の濁音による汚いコトバの類型
脱落したのか、させたのか
痛いバラ線
濁音が喚起する内包の、段階的変化
ふちをあけてうちたまへと
一音節+ジル型動詞
例外の処理
濁音の汚さ
地名「白金」の語形
現行方式の濁点の起源
連濁の機能
濁音の二面性
連濁の応用
清音の役割
有標性(markedness)
あめつちの誦文に濁音なし
有標のマークとしての濁点
仮名と濁点とを続け書きできない理由
Ⅳ章 音便形の形成とその機能
【緊張して話す場面では気を付けの発音になり、リラックスして話す場面では休めの発音になる。 語形変化は、休めの発音を気を付けの発音に転用することによって生じる場合が多い。
この章では、音便形の形成によって、日本語の運用にどのようなメリットがもたらされたかを解明する。また、音便形と非音便形とが新旧の語形ではなく、表現の違いを積極的に表わしていたことを実例に基づいて証明する。】
音便についての共通理解
辞書の解説を調べてみる
国文法の切片主義
わかりやすい説明の落とし穴
音便形の位置づけ
キリシタン宣教師の段階的日本語学習
規範文法と記述文法
〈気を付けの発音〉と〈休めの発音〉
ツイタチの原形
ツキタチからツイタチへ
言語現象を縦割りで捉えたのでは真実に迫れない
ツゴモリの形成
言語の各カテゴリーは一体として機能する
休めの発音を気を付けの発音に格上げした分裂
音便形はどういう要求を満たすために形成されたか
タカイコ、アキラケイコ
和歌に用いられた音便形および漢語
平安時代の仮名散文における非音便形と音便形との使い分け
ナキ給ふとナイ給ふ
カ(書)キテとカイテ
イミジクとイミジウ
校訂者による場面理解の相違
本居宣長の「音便ノ事」についての誤解
半濁ノ音便の機能
Ⅴ章 係り結びの存在理由―自然な長文を組み立てられるようになるまで
【この章で係り結びとよぶのは、係助詞と連体形・已然形とが呼応する語法である。特に、ゾ(ソ)とナム(ナモ)とを中心に、その機能を解明する。
係助詞ゾ・ナムは、従来、強調と理解されてきたが、構文に関わる機能語であるから、そういう役割を担っていない。その取り違えを明確に指摘して、新しい解釈を提示する。それがわかれば、ヤ・カおよびコソについての解釈もおのずから明らかになる。検討の手順として、大野晋『係り結びの研究』(岩波書店・1993)の主張を吟味しながら私見を述べる。】
ガラパゴス文法
大野晋にとっての文法論
ディスコース
宣命の係り結び―取り違えの始まり
ナモ・ナムの係り結びの機能
ナモで結ばれたあとの内容に注目する
古文書(こもんじょ)の表現を解析する試み
『万葉集』のナム?
『古今和歌集』のナム
本居宣長の『詞(ことば)の玉緒(たまのお)』のナム
仮名文に使用されたナム
万葉集に基づく係り結び倒置起源説は成り立たない―ゾの機能
機能語
機能主義の立場で捉えなおす
肝心なのは機能語としての役割
助詞ナムの機能 補足
係り結びが形成された理由
係り結びは亡びたのか
ナムの係り結びを肩代わりしたのは何か
『後拾遺和歌集』の序
男性の仮名文
『新古今和歌集』仮名序
係り結びが不要になった理由
本章のまとめ
補論 日本語史研究のこれからのために
あとがき