目次
まえがき
序章 先住民のパフォーマンスと日本からの視線——映画『オーストラリア』
I部 自らの声で語る
一章 オーストラリア先住民と映画史——語る主体の獲得
二章 先住民の映画スターは語ることが出来るか——デヴィッド・ガルピリル論
三章 奥地と都市をつなげるテクノロジーと身体——チューキー・ダンサーズ『Ngurrumilmarrmiriyu(ロング・スキン)』
II 過去と現在に対する証言
四章 マラリンガからヒロシマ,ナガサキ,そしてフクシマへ——『ナパジ・ナパジ』
五章 証言者としての身体——ウェズリー・イノック論
六章 戦争の記憶とナショナリズムへの介入——『ブラック・ディッガーズ』
III部 先住民文化への祝福
七章 オペラと先住民
八章 真実の物語と祝福——『サファイアーズ』
九章 ニュージーランド演劇の半世紀と先住民——『ポフトゥカワの木』
終章 アボリジニと日本人の出会い——『ミス・タナカ』
資料編
Australian Indigenous People and Performance
Keiji SAWADA