目次
原発事故被害の特異性 故郷再生の道はいずこ 原子力専門家の責任感 子どもの成長を取り戻す活動 「人間の災厄」を捉える眼こそ 「死者は一人もいない」という欺瞞 「被害者の視点からの欠陥分析」の重要性 復興予算略奪の卑劣 住民の安全対策抜きで再稼働か はやくも風化の危機 官僚へ、避難生活の実体験を 原発事故被害の全調査こそ 吉田所長の死闘が訴えるもの 続発する一流企業の事故 経営の失敗による組織事故 行政の転換を迫る判決の連打 企業の病-事故隠し 「隠ぺい文化」は事故の温床 放置される生活空間の事故 刑事裁判の限界 被害者連帯の新しい潮流 偏見・差別への配慮と救済 阪神・淡路大震災 新潟県中越地震 信楽事故 水俣病五十年 もう一つの水俣病総括 じん肺患者放置 「白い巨塔」と医療事故 日航機事故 災害から見つめられて五十年 子どもが産めなくなる 患者リスト放置、いのち意識の希薄 行政の「線引き主義」を崩す 子どもの暴力と「親教育」 性虐待は「魂の殺人」 無人称視 震災後、問われる死生観と宗教心 誰かの犠牲に支えられている日常 子どもたちの喪失体験と言葉 百七十万人死時代、どこで最期を